活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

温故知新という言葉を知っているか

武士の誕生 (講談社学術文庫)

武士の誕生 (講談社学術文庫)

武士とは何か。ひいては中世とは何か。
その武士という存在を平安後期における板東の騒乱から考えている本書。
初出が1999年ということで、議論としては古さを感じるものの、根拠としては古びていません。
それまでの武士の始まりを自衛農民が先鋭化された結果、職業としての兵士が誕生した、としていました。


しかし、筆者はそうではなく、中央貴族が地方へ下向し、土着化する中で軍事貴族として目覚めた一部が武士として発展していくとしています。
今では非常に当たり前な言説ですが、きちんと史料を用いながら論説しているところに本書の素晴らしさがあるでしょう。


筆者は、自衛農民が職業兵士なることに疑問符をつけています。
理由は自衛農民がなぜ領主となれたのかという素朴ものでした。
一兵卒にはなれても、在地領主として存在することはできないはずだ、と。


まったくその通りで、むしろ国司や郡司として下級貴族が下向して、私的武力を有する中で武士となる方が論としてはスマートです。
文句の付け所はないものの、あえていえば、注が多すぎるところか。


東大の大罪 (朝日新書)

東大の大罪 (朝日新書)

緑鉄ゼミで有名な和田先生。
自身も東大出身ではあるものの、東大という仕組みそのものに疑問を呈しています。
エリート養成機関としての東大が、エリートを養成していない。


私も和田先生と同意見で、これからの日本はエリート教育によって生み出されたエリートが、日本を引っ張っていく必要を感じます。
そのためにエリート養成機関は必須です。
これは右派的意見ではなく、世界の流れそのものです。
今の日本には、とがった優秀な人物が少ない。
ゆえに、一つのことに突っ走れないし、間違っても修正することができません。
それが日本の最大の敗因です。


本書の中で、東大の上の大学を作る、東大を研究分野と教育分野を分ける、という提言がされていました。
先般来、私は大学そのものが研究大学と職業大学に分離すべきだ、と主張してきました。
後者は、まさにその考えと言えるでしょう。


少なくとも、東大はこれから変わらない限り,人材教育の面で日本は変わらないでしょう。