活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

サルが分かっちゃ困る大学合格の方法2


前回、大学に合格する方法は3つだという話をしました。
で、今回はその2回目。


2.国語力の向上


最近の学習本は「国語」を重視しているものがあります。
その理由は、国語力が思考するための基礎力だからです。
我々が何かを考えるとき、無意識に言語を使って考えています。確かにイメージすることもありますが、たいていの場合、言葉でモノを考えます。
つまり、言語を習得していないと思考することができないのです。


言い方が正確ではありませんね。
言語をトレーニングすることで、思考力が向上し、より明確に思考できます。
今の若い世代が「何を考えているのか分からない」「バカに見える」のは、言語を強化されていないために、彼ら自身思考能力が高くないからです。
考えていることはさほど変わらないのですが、それが明確化されないので、表現としては稚拙に感じてしまいます。


勉強とは考えることです。
それはすべての教科に共通する目的です。
生徒に考えさせるために、教科科目を課しています。


分からない問題も今までの知識と思考力である程度まで解答することができます。
思考力がない生徒は分からない問題に直面した段階で思考が硬直します。
自分自身の思考をコントロールできないからです。
ですが、思考は訓練によって強化することができます。


だから、国語を伸ばそうと声高に叫ぶわけです。


では、国語力を伸ばすためにはどうしたらいいのでしょうか。
それは「本を読む」ことです。
これ以上に国語力開発に最適なものはありません。


しかし、本嫌いが無理矢理、本を読んだところで何の効果もありません。
なので、私が提唱するのは本を読むプロセスを別なモノで代用する方法です。


本を読むことがなぜ国語力の向上によいのか。
本を読む行為は右脳と左脳にほどよい負荷をかけるからです。
評論のような論理的な文章の読解は左脳の役割です。起承転結があり、一つの結論を導くためにどういう根拠をどういう順番で説明していくか。
徹頭徹尾、ロジックなモノの考え方です。
それに対し、小説はイメージの世界です。もちろん、物語の流れはあるものの、場面・情景を思い浮かべながら読み進めていきます。
必然、右脳が活発化します。イメージを作り上げる力がつきます。


これを他のモノで代用しようというわけです。
一つは何かを見た・触れたときに「なぜ」と考える癖をつけることです。例えば、なぜ信号機の色の順番はああなっているのだろう、ニュースではああ言っていたけどなぜだろう、とか。
そして、自分なりの仮説を立てます。仮説を立てた上で調べられるモノは自分で調べます。
そうやって疑問→仮説→検証というプロセスを踏むことでロジックなモノの考え方を手に入れていきます。


もう一つは空間をイメージすることです。
町並みを俯瞰してもいいですし、イラストを描くのも一つかも知れません。
私がよくやるのは、人混みの中でその人達がどう動くかをイメージすることです。ある人Aがどれくらいのスピードで、どちらに動いているかを、矢印で考えます。ちょっとしたAR(拡張現実)みたいな感じです。それを目に見える人間すべて同時に行います。すごく脳に負荷がかかりますが、イメージを身につけるには格好のやり方だと考えています。


これを普段から実行していれば、遠回りのような実は国語力が身につきます。
身につかないのは語彙力ですね。
こればかりは普段から言葉を使っていない限り身につかないでしょう。


以上のように、国語力をつければ、それは他の教科に応用することができます。
国語力が向上すれば、必然学力が上がるわけです。


残りの一つについては、また後日。