- 作者: 宇野常寛
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2011/07/28
- メディア: 単行本
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『ゼロ年代の想像力』で辛口デビューをした宇野氏。
その論説は別として、辛口加減はなかなか好きです。
その彼が今回は「父」あるいは「正義」について論じています。
ポストモダンを越えた現代で、もはや「大きな物語(=絶対的な正義)」は通用しない。では、そんな世界の中で、どう「正義」とはあるのか。
それをウルトラマンと仮面ライダーを用いて、それぞれ「ビック・ブラザー」と「リトル・ピープル」という比喩を用いて比較しています。
私たちは絶対的な正義としての父親になることはできず、縮退した(個人的)正義の父親であらざるを得ない状況が、現代だとしています。
私たちがよるべき正義は存在せず、どの正義も相対化された中で、あくまで個人が決断した正義に依拠せざるをえないというのです。
だから、その個人的正義同士の衝突が今の紛争の現状だ、とも述べています。
論説は非常に面白いし、的を射ているとも思います。
ただ、村上春樹の例に漏れず、私たちは「終わらない日常」の中で答えを探しています。
しかし、その答えはどこまでいっても相対化されたものでしかなく、だからこそ誰も何も提言できないわけです。
「あえて」決断したものも、その人にとっての正義でしかなく、私たちは誰もが共感しうる「正義」は存在しなくなってしまいました。
その点を言及した宇野氏は他の評論家より半歩先を行っていると思うのですが。
ですが、現状理解に徹したために、彼自身の提言が弱いような気もします。
こころなしか、『ゼロ年代の想像力』よりも辛口度が低いような。
しかし、彼の論説が先鋭的であるのは間違いなく、今後も頑張っていただきたい論者の一人です。