活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

すべての人に光を


努力は必ずしも報われるとは限らない。しかし、努力しないものは決して成功しない。


これは私の持論です。
絶対的に正しいことがない現代、努力が必ずしも正しいとは限りません。
残念ながら、経済成長期と異なり、努力が成功に直結しないからです。
拡大をしていれば、努力分だけ成功しますが、今はゼロサムゲーム時代。努力しただけでは誰かのパイを奪うことになるとは限りません。


しかし、努力をしない人間が成功することもないのもまた事実。
成功は努力の上にしかないのです。


ただ、その努力をあざ笑う現状であるのもまた事実です。
教育が高収入のベースとなるのは先述したとおりです。
その教育は、金で買える現状があります。資本力のある親は私立や塾に通わせます。資本力のない親はそれができません。
そのため、相対的に高収入の親の子どもは高収入になりがちです。


その事実があるために、低収入の人達が諦めてしまっている現状です。
私は、子ども達への教育は社会のためだと考えています。
高度社会を支えるために、子どもへの教育は必要不可欠です。
しかし今、教育は個人の資本力に委ねられています。
それが格差を生み出している一因です。
けっして平等とは言えませんし、自己責任なんて言えるはずもありません。


なので、必ずしも努力が報われる社会である必要はありませんが、努力することで変わることができる社会でなければなりません。
けっして本人以外の外部要因で決まるべきではありません。


今の日本はだんだんと外部要因で、ある程度決まってしまう社会になっている気がしてなりません。