活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

夜明けはまだ


国家の大黒柱は「教育」「医療」「福祉」だと考えています。
当然、誰しもが怪我や病気になります。それに備えるためには医療の充実は避けて通れません。また、弱者救済というセーフティーネットは福祉の役割です。
これらがあるから、国民は安心して生活ができます。


では、教育はどうでしょう。
必要ないという人はいないでしょうが、要だと考える人は多くありません。むしろ、「経済」だという人が多い。
しかし、今の日本がそうなりつつあるように、親の財力によって子ども教育レベルが決まっています。
満足な教育が受けられないということは、アメリカのように貧困層を生み出すことと同義です。


教育を受けていない人間が賃金の高い職に就くことはできません。
医者、弁護士、官僚など、すべて高学歴です。
教育の有無が、その人の今後の人生を決めると言っても過言ではありません。
現在、公立高校が無料化されていますが、それだけでは十分ではありません。なぜならば、高学歴とは大卒以上を指し、私立大学は少なくとも500万以上の学費を必要としています。国立でさえ、300万程度の学費が必要です。


高学歴がなぜ企業から求められているかといえば、「基礎力」があるかの判断だからです。
学歴があれば、少なくとも複雑化した業務をこなすだけの能力がある、と言えるからです。
逆に、学歴がないということは複雑化した業務をこなせない、と判断され、単純労働に置かれます。
単純労働は複雑化した業務(知識労働)と比べ、明らかに低賃金です。
つまり、学歴差が賃金差に繋がります。


これを世代ごとに繰り返していくと、階層社会が誕生します。
教育による格差なので、貧困層が格差を乗り越えることは事実上不可能です。
貧富の入れ替えができない階層社会は必然、下の階層の不満を生み出します。
不満は社会の不安定化を招くのは、世界史を紐解けばいくらでも例があります。


また、一部の富裕層だけが教育される国家は早晩崩壊します。
それは高度知識化した社会では、教育された国民の数が多いほど、高度であるほど国力増加に繋がるからです。
少子化する国家では、国民一人の能力向上が不可欠です(もちろん、それだけで、すべてが解決するわけではありませんが)。


ゆえに、「教育」が国家に重要な要素になるわけです。
特に、学力を上げてもなんら本人にフィードバックされない(されにくい)環境である日本は、どういう教育戦略を打ち出していくかが、重要課題です。
頑張れば報われる時代は終わったのに、いつまで旧世代のモデルを使い続けているのでしょうか。