活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

飽くなき知的探求心こそ人間のパフォーマンスを上げる

コピペはダメだよ、について (内田樹の研究室)

内田先生は神戸女学院大学の教授だったはずですが、神戸女学院もコピペ論文が横行しているんですね。

卒論を読んでコメントをつけて返すという仕事をしている。
疲れる。
ほとんど同じことをどの学生についても書いているからである。
「出典の書誌情報を明記しなさい」
この二年間、ことあるごとにゼミで言っているのだが、ほとんどの学生はそのほんとうの意味は理解していない。
それをたぶん「ズルをしてはいけません」という警告のように聴いているのだろうと思う。
(中略)
つねづね申し上げているように、出典について書誌情報を明記するのは、「私は先人からの『パス』を受け取った」というシグナルである。
先行研究は贈り物である。
私は贈与を受けた。
それゆえ、反対給付の義務を負っている。

まさにその通りです。
研究者は先行研究を引き継いで、その一歩前へ進んでいます。
決して、研究者一人のものではありません。
大学生諸氏もまた、研究者の端くれに位置しています。大学とは研究機関でもあるからです。そして、大学生は研究者として育成されている学徒です。
そのことを自覚している大学生の少ないこと。


出典情報を明らかにするのは、内田先生の言うとおり、先行研究がここまでで、自分の考えはこうだ、という線引きでもあります。
同時にどういう先行研究に立脚し、自分の論旨の根拠はどこなのかも明らかにしています。
それがない論文は感想文と一緒です。


内田先生はコピペはダメよ、といっていますが、私は限定をつけてアリだと思っています。
特に理系論文はインターネットで発表しているものも多いようなので、理系はコピペしなければならない部分もあります。
また、まともなことを書いているサイトもあるので、大学生レベルであれば、あながち間違いではないかな、とも思います。
ただ問題なのは、インターネットサイトの多くが出典を載せていないことです。
これはいただけません。理由は先述したとおりです。


出典を明らかにしない論文は、その根拠を疑われるので正当性を持ちません。
もちろん、内容が正しいかは判断できますが、読んだだけで判断できる論文は引用するに値しません。
私自身、大学の先生からは「出典を明らかにしろ」「必ず原典に当たれ(孫引きするな)」と言われました。
出典を明らかにしないと、どこまでが自分の考えかが分からないですし、原典を当たらないと、論文で引用されている文だけでは妥当性がはかれないからです。場合によっては論者の都合のよいように解釈されている場合があります。


こういった論理性は社会に出ても役に立ちます。

アカデミアの目的は、学生たちに自分の知的なポテンシャルに気づかせ、それを高め、活性化する方途を発見させることである。
そのためには何を措いても「贈与されたものを次の受け取り手にパスする」というふるまいを会得してもらわねばならない。
パッサーとなること、それが人間の知的なパフォーマンスを最大化させる。

人間の知的パフォーマンスの最大化、これこそ大学がすべき方向性です。
それを理解できていない大学生が多いことに暗澹たる思いです。