活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

天才は何かをなす前に去ってしまう

天才はその魂を燃やしながら作品を作っている。
打海文三氏も今敏氏もそうだが、この伊藤計劃氏もまた、そうだ。


ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)


ここに描かれる世界は、多分いま世界が目指している方向だと思う。
構成員全員の健康を管理し、互いが「優しさ」で監視する世界。
そこには病気もなければいじめも存在しない。
ひどく楽園のように思えるが、そこに違和感を感じる少女。
人間という資本は構成員全員のものであり、自分自身でさえ自由にすることができないからだ。


人はいずれ生老病死の多くを克服する。
生まれ出でることと死にゆくことは克服できないが、老いと病は克服されるだろう。
そして、本作のように「葛藤」自身も克服されるのではないだろうか。
しかし、人間がリソース資源と考えられ、あらゆるものが克服されると、それはすでに人と定義できるのか。
「わたし」という個人を定義することができるのか。


葛藤する意識こそが人間を人間たらしめ、つねに最適解を出す意識は昆虫の本能となんら変わらない。
しかし、現代はつねに最適解を求められている。
もちろん、理想としての概念だが。
だが、メディアも世論も、その理想を現実にしようと押しつける。
完璧な人間など存在しないのに、葛藤することも、不条理な答えを出すことも許さない。


理想としての概念を実行したら、こんな世界になるのだろう。
だが、現実になったら、我々は生きることを優先させ、芸術などの文化を必要としないだろう。生きることを最適化する文化だけだ。
清く正しく美しく。
それは結構なことだ。だが、それを強制されるのは、すでに間違いだ。
人に悪影響を与えるからと非実在青少年の規制をすることと同じだ。
それは自らが律する必要があるだけで、「優しさ」によってお仕着せされるものではない。


その現状を本作は見事に描いている。
フィクションではあるが、かぎりなく現実を見ている作品だ。
こういった作品を生み出す才能こそ、現代に必要なのに、そういう才能に限って早世してしまう。


「満足な人間より不満足なソクラテスでありたい」


不満足なソクラテスが行きづらい世の中で、満足な人間だけが残ってしまう。