活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

禍福はあざなえる縄のごとし

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm
また、日本人がノーベル賞を受賞しました。
しかし、一人はやはり海外の大学に所属する教授でした。

 だが、日本に対しては賛美だけではない。日本を飛び出すことになったきっかけは、フルブライト留学制度を利用した米ペンシルベニア大への留学だったが、「いざ博士号を取得して日本に帰ってみると、日本には私を受け入れる余地はまったくなかった」と、日本の高等教育の閉鎖性を暗に批判した。

という記事にあるとおり、日本の研究レベルの低さには辟易します。
こういう優秀な人材の確保こそが、今後の日本には重要なはずです。


資源がないなら、人材をつかえばいいじゃないの。


といわんばかりに、ここでは主張させてもらいます。
日本という組織そのものが優秀な人材(=異端者)を排除するシステムです。
彼らは居場所がないから、国内より国外から優秀な人材を集めるアメリカに向かうわけです。あの国は人種差別はあれど、能力を差別することはしない国です。
日本に残るのは均質な人材ばかり。
確かに、命令する立場からすれば非常に楽ですが、言い方を変えるとアイデアは生み出さない人材でもあります。


軍隊式の命令重視の組織か、それともサッカーのような個人プレー重視の組織か。


もちろん、それぞれに一長一短はあります。
しかし、今は個人プレーを基礎とした、それぞれが得意分野に特化する組織こそが生き残っています。
一人に何でもかんでも押しつける組織は成長しません。


私個人はゼネラリストでありたいとは考えていますが、仕事ではスペシャリストたるべきと考えています。
足りないところを補い合える組織は、当然風通しのよい組織ですし、コミュニケーションのとれている組織でもあります。
それができていないから、一人が全部を背負い込むことになるのです。


ただ、ほかのことができないスペシャリストでいいのかと言えば、そうではありません。

 「頭脳流出組」の先駆けとして、米国に活躍の場を求めた根岸氏。喜びにまじって、祖国日本への思いがところどころに顔をのぞかせた。会見の冒頭。「私は日本の(悪名高い)受験地獄の支持者だ」。理由は、高度な研究になればなるほど、「基本が大事になるから」。それをたたきこんでくれたのが、日本の教育だった、というわけだ。

とあるように、土台がしっかりしている必要があります。
土台=基本ができていない人材は何をやってもダメです。
それを作るのが教育です。
根岸氏の発言は、本当に受験地獄・受験戦争を支持しているのではなく、それだけの勉強量が基礎基本を作り、次へ進むステップになる、といいたいのでしょう。


しかし、今の日本は「ゆとり教育」、というか「放置教育」です。
小中高と何も教えていないのに等しいのに、そんな彼らに大学レベルができるはずがありません。


事業仕分けもいいですが、日本の現状と投資すべき対象を見誤ると、100年先の日本はおろか、50年先さえも危ぶまれます。
日本は目先の利益を追いかけるのではなく、先を見据えた教育と基礎研究への投資が必要です。
それができなきゃ、日本は消えますよ。