活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

本当に自己責任なの?

昨日のポスドク問題について、もう少し。
なぜ、企業は修士・博士を採用しないのか。
それは、先日触れた年齢給の問題のほかに、企業自身が大学の価値を低く見ているからです。


これは私自身が大学職員から民間企業へ転職活動していたときに感じたことでもあります。
「企業は大学とは違って利益追求する組織だから」なんて言う人もいましたが、結局、「大学は企業じゃないんだから、そんな連中新卒と同じだろ」という意識です。
正直、両方に属していた身としては大学も企業もさほど変わりません。
むしろ、何かを追求するという意味では大学の方が純粋です。また、職員の扱いも大学の方が人間としてみてくれます。すべての企業が、というわけではありませんが、企業の方が人材を消耗品か兵士くらいしか見ていません。


ポテンシャルも修士・博士の方が上です。
民間企業の方がポテンシャルの低い、烏合の衆の寄せ集めではないでしょうか。
それまで生きのよい体育会系しか集めてこなかったんだから、当然と言えば当然です。
自分たちの言うことを聞く兵士だけを集めれば、必然、組織のポテンシャルは下がります。そのことに気づいてないような組織では、修士・博士の使い道も分かるはずもありません。
優秀な人材の使い方が分からず、いたずらに人材を消耗させる企業が、何を言うのだろう。


少々厳しい言い方をしていますが、修士・博士にも問題があるとは言えます。
概して、狭い人間関係しか構築してこなかった人も多いので、コミュニケーションに難のある人がいるのも確かです。
問題はそこであって、能力の問題ではありません。
今の企業はコミュ偏重で、従順な体育会系を集めてきたことが、修士・博士のようなポテンシャルの高い人材を排除してきたように思えます。
コミュニケーションは大事ですが、そこは適材適所。
人材を上手く使うことが企業の能力ではないでしょうか。それができないのなら、それこそ企業の能力を疑わざるを得ません。