活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

一つ曲がり角、一つ間違えて、曲がり角くねくね

今の大学受験って、完全なる(それに近い)ゼロサムゲームです。
言い方を変えると、巨大な椅子取りゲームと言ってもいい。


多くの人が国公立・早慶上智・MARCH・関関同立を目指します。
しかし、これらの大学は学部再編も終え、しばらくは定員増加する見込みはありません。
18歳人口は減っていますが、浪人生が一定数いることを考慮に入れ、毎年の受験者数は同じと考えます。
となると、同じ人数で同じ席数を争っているわけです。


しかも、この争いは年々激化の一途をたどっています。
なぜならば、早慶上智・MARCH・関関同立は附属・系列高校を増やし、そこからの内部進学を増加させているからです。
定員は変わらないのに、一般受験枠だけが減っていく。しかも、見た目には変わっていないように見える。
さらに、世間では学歴信仰が根強く残っており、名の知れた大学以外は価値なし、とレッテルを貼られています。


問題なのは、このゼロサムゲームが悪い、ということではありません。
このゼロサムゲームが何に支えられているか、です。
それは「一流企業に入社できる」という思想に基づいているからです。
もっといえば「漠然とした幸せを手に入れられる」という信仰です。


確かに、一流といわれる大学に入る人間は、勉強ができるわけですから、それなりに幸せになる可能性は高いでしょう。
ただ、すごく逆説的になってしまっています。
勉強ができるから、国公立・早慶上智に入れる、が、国公立・早慶上智に入る→(勉強ができる)→幸せになれるという構図になってしまったことです。
正直、学歴は幸福の、何の担保にもなり得ません。
それこそ、慶応幼稚舎から慶應義塾大学までエスカレータ式に上がっても、それは何の証でもありません。
せいぜい、親が金持ちなんだぜ、と証明しているにすぎないわけです。
それよりも、地元のトップ公立校から慶應義塾大学へ進学した方が、よっぽど賢さの証明になります。


それでさえ、幸せになるかなんて保証はどこにもありません。
ただ、優秀である、と証明されただけです。
優秀さの証が欲しいから、難関大学へ進む、なら分かります。
しかし、保護者も生徒も難関大学に入ることが幸せへの第一歩、と考えています。
そんな保証どこにも書いてないのに。


昔も今も、私は「学歴信仰」には否定的です。
私自身は某三流大学出身ですが、以前の職場は某一流大学です。今は某予備校職員ですが。
そこからえた結論は、大学名では何も変わらない、ということです。
結局は本人の力量です。
優秀さは確かに、幸福になる可能性を増します。
しかし、必ずしも大学名が優秀さを証明するわけではありません。理由は幼稚舎の例をみれば明らかでしょう。
だから、推薦も内部進学もない国公立大学がもてはやされるようになってきたわけですが。


何でしょう。難関大学へ行けば、極楽浄土と同じように無条件で幸福になると思っているのでしょうか*1
現世でそんな場所があるわけがないでしょうが。と思うのはいけないことでしょうか。


そんな暇があったら、自分を磨くことが幸せになる近道なのに。

*1:本来、極楽浄土はそこで修行をすれば誰もが成仏できるという場所のことでした