活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

森先生がメッタ斬り

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)


一言で言えば、「小説はビジネスである」ということ。
森氏にとって小説は賃金を得るためのものでしかなく、割のよいバイトとしてとらえています。
この点は小説家を目指している多くの作家の卵とは大きく違うところでしょう。
むしろ、冲方丁と似ています。彼もまた、小説(文筆業)をビジネスととらえ、どう仕事をするかうに腐心しています。


それゆえ、彼の論説はほかの小説ノウハウ本とまったく違います。

 はっきりいって、「こうすればおもしろ小説が書ける」「こうすれば美文になる」といったノウハウなど、すべて些末である。習字のように綺麗な文字が書ける、あるいは、間違えないで漢字が正しく書ける、というレベルの話でしかない。文章の価値、創作の価値は、そんな細かい部分にあるのではない。極端な話をすれば、たとえば文法でさえ頑なに守る必要はない。

 大事なことは、「こうすれば」という具体的なノウハウの数々ではなく、ただ「自分はこれを仕事にする」という「姿勢」である。その一点さえ揺るがなければなんとかなる、と僕は思っている。

なかなか言い切ります。
ただ、この考えには賛成です。私自身、『ベストセラーなんてダイッ嫌い!!』で、「面白い小説の書き方はない」と言い切りました。それは方法論ではないからです。
しかし、ノウハウそのものは否定しません。というか、方法論ですね。確かに小説にルールはないけれど、どんなスポーツにもルールや型が存在します。基礎の形が存在します。それを無視することはできないでしょう。


この本はなかなか挑戦的ですが、参考にすべき点は3つあります。

  • 他者の評価を気にしないこと
  • 「新しさ」「珍しさ」を目指すこと
  • 「視点」の重要さ

この3点については、どんな小説にも当てはまる普遍的真理だと思います。
他者の評価は参考にはするけれど、自分を突き詰めないと面白いものは生まれません。また、人は飽きる生き物です。なので、常に新しいものを提供しなければ、いずれ作家として売れなくなります。そして、「視点」の面白さこそ、小説の、創作の基軸の一つであること。
このあたりについては、真っ当な小説論では書かれていることでもあります。


森氏は「小説を読まないこと」が本書の肝だとしています。
しかし、私はそれは半分正しく、半分間違いだと考えています。
なぜ正しいのか。人真似をするくらいなら読まない方がマシです。これはオリジナリティだろうか、と迷うくらいなら読まずに自分の信じる道を突き進むべきでしょう。
同時に、なぜ間違いなのか。人はそんな簡単にオリジナリティを作り出すことはできません。どこかで見たような作品になりがちです。だからこそ、他者の作品を研究し、それらにないもの、すなわち「新しさ」を見つける必要があります。


どちらを目指すかは人によって異なりますが、その違いは理解すべきでしょう。


個人的には、小説論よりも森氏のいい切り方が面白かったですね。
こんなにはっきりものを言ってもいいのか。編集者や出版社をばっさりと切っています。
確かに、太鼓持ちとしての編集は無能です。作家がメーカーなら、編集は企画であるべきでしょう。
私自身は電子書籍が一般化しても、編集・出版は残ると考えています。
それは「企画」という部分と、メーカーである作家の製品を再構築し直す部分です。
森氏は個人でできるビジネスと考えているようですが、ある程度流通を考えるなら他者が必要となります。そこに出版・編集の役割があるのではないでしょうか。