活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

遠浅化する世界

近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 (光文社新書)

近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 (光文社新書)

自分の生徒を見て、なるほど、と思わず感心。


確かに、彼らは広く浅いコミュニケの中で、重複したセグメントの友人関係を築いています。
開いたコミュニティが多層的になっている、といってもいいかもしれません。


「学校の友達」「地元の友達」「同中の友達」「バイト先の友達」……
ただ、どこか深い関係が存在するかといえば、そういうわけでもない。
くっついては離れる、ゆるい人間関係です。


それが悪いとは断ずることはできません。
それが彼らのコミュニケーションなのですから。


ただ、彼らの行動範囲は非常に狭い。
通学1時間圏内が「遠い」と言います。しかも、行先は東京なのに。
県外へ出ること自体を嫌がる生徒もいます。
考えられるでしょうか。
かつてだったら、誰もが東京の大学に憧れたものです。東京に出て、池袋・新宿・渋谷界隈で遊びたい、と思っていたはずです。


もちろん、今もその傾向は存在します。
立教大学への憧れはそれに近いものがありますし、さすがに渋谷・青山・代官山あたりはまだ人気のようです。
ただ、東京にはさしたる憧れはないようです。


また、面白い傾向として大阪・京都へ進学したがる生徒が増えてきました。
京都大学大阪大学関関同立などです。
これは本書でいう関西が「キャラ立ち」しているせいでしょうか。


彼らの認識する範囲は広がったものの、彼らの生活圏は狭まっています。
情報が手に入るために、かえって目に見えるもの、実感できるものに固執しているようにも感じられます。
つまり、変化を嫌う傾向です。
地元愛は必ずしも悪いことではありませんが、自分を変化させるためには環境を変化させる必要があります。
大学や就職がもっとも良い機会ではないでしょうか。
それを逃すのは、彼らの人間としての成長と閉ざす行為としか思えません。


せっかく彼らの認識する世界が広いのだから、それを深いものにしてはどうでしょうか。