活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

たゆたうものは、堅固なるものに勝てるか

新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に

新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に


まさに、出版業界を嘆くメディア人の本、といったところでしょうか。
ネットの敷居が低くなって、誰が損をするかといえば、間違いなくメディア業界(出版・放送・新聞など)でしょう。
なぜならば、このブログしかり、誰でも簡単に情報を発信することができるからです。
しかも、アルファブロガーのように、マスメディア並みに影響力を持つ存在も現れています。


情報が一部のものではなく、大衆のものになったために、大衆へのプロバイダ(供給者)はその地位を追われかねない。
ここで問題になるのが、出版という存在です。
情報を発信することが誰にでも出来るなら、出版はどういう存在にならなければならないのか。


筆者は、編集能力にこそ、その存在意義を求めています。
すなわち、ベタテキストは誰にでもできる。しかし、それをどう見せるのか、どう編集するのかが「編集」に求められる能力だ、と。


つまり、メディアは情報そのものに価値を置くのではなく、情報の取捨選択や提供の仕方に価値を置くべきだとしています。
でなければ、流動性の高い(即時性のある)ネットに雑誌や新聞がかなうはずがないと。


それは全くその通りだと思います。
それまでは、雑誌や新聞などでしか情報に接触できなかったものが、ネットで誰もが一次情報(ないしは、それに近い情報)に接触できる現在、即時性に欠ける新聞を誰が読むでしょうか。
古いところでいえば、新聞よりテレビ、といったところでしょう。
今は、テレビよりネット、といえます。


メディア業界が生き残るためにはどうすべきか。
今まさに、それが問われています。