活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

著作権はだれのため?

著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」 (集英社新書 527A)

著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」 (集英社新書 527A)


ハードからソフト、そしてコンテンツへ産業が変化する中、「著作権」が注目されています。
昨今は、著作権を著者の死後50年から70年へと引き上げようという動きもあります。


しかし、著者の権利を守りすぎると、それを利用する人々の権利が縮小されてしまいます。
逆もまたしかりです。
これはバランスの問題です。


個人的な所感でいえば、現状でさえ著作権は守られすぎている気がします。
どういうことかというと、著者が死んでいるのに遺族に権利が委譲されることです。
本来、著作権の概念は著作者の権利を守るもののはずです。しかし、著作権が一つの既得権化し、遺族に移るのはおかしい。
しかも、その権利から生み出される利益はほとんどない、というのが現状です。


もう一つは映像作品などに見られる著作権の複雑化です。
原作者、脚本、監督、出演者などステークスホルダーが多すぎるために、その権利をまとめることが難しい問題です。
そのために、映像作品はDVD化などで問題を起こすそうです。逆にそれを解決しとうとしたハリウッドは権利ごと買うために、製作費が膨大になっています。


まず、なぜ著作権は著者の死後50年まで生きているのでしょうか?
著者の権利を守るのなら、著者の死後はほとんど関係のない気がします。
また、著者の遺族に権利が移るのもおかしい。
もちろん、著作物が不正に扱われていないか、管理する必要があるもの、モラルの問題で法の問題ではありません。


何のための著作権なのか、その基本コンセプトをもう一度見直さないと、誰にとっても不幸になる法律になりかねません。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100122-00000005-jct-sci


で、こんな話題。
出版社はキンドルの出現と印税70%に脅威を感じているようですが、そこはむしろ逆ではないでしょうか。


当然、売れっ子作家にとってみれば、アマゾン側に魅力があります。
しかし、それ以外の作家はどうでしょう。印税70%ということは、アマゾン側は低い利益だということです。
それが何の問題なのか。
そもそもアマゾンのようなネット産業は技術力により、それまでかかっていたコストが限りなくゼロに近づくことで利益を得ています。
特にデータを保存するサーバ容量とネットワーク回線速度です。
それがあるからアマゾンは高い印税を支払っても、安い料金にすることができます。


それを使ってロングテールによる利益追求をしています。
ですが、ここに問題があります。アマゾンにとってみれば、「売る」という行為は半自動的です。
サイトと検索システム、それと売り上げランキングなどを作っておけば、顧客はそれに乗って買っていきます。
ここに、他人は介在していません。
検索されなければ存在しないと同義なのです。


作家はそこに恐怖しないはずがありません。
そこにこそ活路があります。
編集や販売による「企画力」こそ出版社が持つ最大にして最強の武器です。


誰にどういう作品を書かせ、それをどう販売するか。
これができるのは出版社だけです。
アマゾンではそれができません。それをすれば、確実に価格に反映されるからです。
作家もアマゾンで販売する以上、何をどう作るかはすべて自力になります。
編集の力を借りることはできません。


すでに売れている作家はネームバリューも固定客がついているので、さほど問題にはなりません。
しかし、新人は? 中堅は?
彼らが活躍する可能性がある一方で、消耗品とされる可能性もまた存在します。


もちろん、キンドルの出現はこれまでの出版界の問題を洗い出すいい機会でもあります。
これを機に、出版業界は自己改革をしてもらいたいものです。