活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

それってホント?

個性の時代、ダイバーシティーの時代といわれていますが、本当に「個性」に価値を見出しているのでしょうか?


どうも、多様化の時代だからこそ共通するものを模索しているような気もします。
みんなが買っているもの、使っているものだから安心。
知っているから、国産だから安全。
そんな気持ちが見え隠れしています。


個性の時代だからみんなと違ってよいはずです。
でも、学校ではお遊戯会では全員主役。
と競争では全員同時にゴール。
会社では、同じ能力が求められ、均一な「兵士」教育が当たり前のように行われている。


はたして、それが個性の時代?


結局、みえない「平均」という呪縛にがんじがらめにされているのが、今の日本ではないでしょうか。
どうも、今のこどもは精神的に弱い気がします。
すぐに病んでしまう傾向にあります。それはみんなと同じ、あるいは順風満帆の人生でなければならないという、強迫観念があるのではないでしょうか。
多様性の時代なら、そんな自分であっても、それもまた「自分」と納得できるはずです。
それができないのは、単一教育によるものでしょう。


また、偏差値にこだわる傾向にあります。
偏差値なんて、所詮平均値からどれだけずれているか、それを表しているに過ぎません。また、順位の概算にすぎないのです。
もし、受験生の全員が受ける模試があるとするなら意味がありますが、そんな模試はありません。
しかも、数値に偏りがあると、偏差値は正しく機能しません。


信じられる「何か」なんてないのに、どうして人は「唯一」「同じもの」に固執するのでしょうか。
時代は本当に多様性の時代になったのでしょうか。