活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

ヒット&ラン

社会学的にはポストモダンであり、経済学的には不確実な時代である、この混迷した時代にヒットする物語とは何だろうか。
そんなことを考えてみました。


そんなことが分かれば出版もテレビもこぞってやるのでしょうが、その一端は存在します。
それは「家族」です。
ただ、今までの伝統的「家族」ではなく、新しい形の家族です。
つまり、いまさら『時間ですよ』みたいな大家族をテーマにしても大衆は興味がありません。そんな家族にリアリティを見いだせないからです。
言い換えれば、サザエ家ではなく野原家にリアリティを感じます。


そして、現代は寄る辺を失っているために、寄る辺となる「家族」に期待しています。
それが『サマーウォーズ』がヒットした一因だと考えています。
アニメに限らず、木山裕策の『home』もそれを表しています。


ただ、先述したとおり、今までの「家族」論では意味がありません。
特に、テレビドラマがよくやる家族では、視聴者は共感することはできないでしょう。


では、どうするのか。
それは、「家族」の構築そのものを物語にすることです。
ポストモダンではすべての価値観は相対化されてしまいます。絶対的価値観は存在しません。
ゆえに、もっとも価値があるのは位置から作り上げていく関係性だけです。
「家族」もまた関係性の一形態ではないでしょうか。
最初から存在するのではなく、作り上げていくものです。


一つの提案として「疑似家族」という物語はできないだろうか。
血のつながりのない、何らかの理由によって「家族」になっている集団。
彼らが「家族」として成立するか、その物語はありではないか。


関係性の再構築、その一端としての「家族」。
そういう物語を作れれば、ヒットするのではないでしょうか。