活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

戦争と平和

8月15日は言わずと知れた終戦記念日です。


戦争は悪だ、戦争はしてはいけない。
その通りですが、それゆえに自虐史観に陥ってしまっているのもまた事実。
そして、そのアンチテーゼとして右翼思想が強くなっているのもまた事実。


問題なのは、どちらも自国の起こした戦争に対して過剰に反応しているということです。
もちろん、戦争は過ちであることは疑いありません。
ですが、自分たちが起こしたことに悲観したり、逆ギレするのではなく、どうすれば戦争をしなくていいのか、それを考え、実行することが重要です。


問題は枠組みを作ることで、そういった思想問題ではありません。
そのために、たとえば核兵器均衡が必要なら議論すべきですし、軍縮が必要なら議論をすべきです。
国連は平和維持組織ですから、本来そこで議論すべき内容でしょう。
枠組みを作ることで平和が維持されます。
一定のルールが平和を作り上げるのです。これは法治主義の延長と考えていいでしょう。


そして、そのルールの根幹は経済になるはずです。
古今東西、戦争の原因の多くは貧困や経済格差によるものです。あるいは経済拡張です。
つまり、帝国主義のような拡大経済そのものが戦争である場合と、ナチスドイツのような国内の経済混乱を解決する手段としての戦争です。
現在のテロや中東・アフリカにおける紛争も、宗教だの民族と言いながら結局のところ、利害関係によるものです。
だから、経済力のある国で、なおかつ他人の喧嘩に首を突っ込んでいない国はテロや紛争がほとんどありません。あるとすれば暴動でしょう。ある一定の経済力があり、社会保障がしっかりしている国が現在、戦争を起こさないです。


現在、議論されている平和論は詭弁に近いといえます。
利害関係が戦争を引き起こすなら、公平なルールを作ればいいんです。
世界全体が豊かになれる仕組みを作り出せば、世の中から戦争はなくなります。
そういう議論抜きに平和を論じても何の意味もありません。