活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

身の丈を知るというのも大事です

必ずしも、「勉強法」というものはあてにならない。


こういうと、またアンチ系が出てきた、と思われるが、世の出版されている「勉強法」すべてを否定しているわけではない。
「勉強法」とは、多くの場合、その人の経験から導き出された方法だ。
もちろん、それを科学的に立証しているが、ベースは自分が大学受験ないしは資格試験で実行した方法だ。


問題はその部分だ。
そういった著者の多くは、いくら中学・高校時代できない人間だったかをアピールしても、御三家、筑波大付属駒場、地方の大学付属中学、トップ公立校出身である。
たとえば、脳科学でおなじみの茂木健一郎先生は東京学芸大学附属高等学校の出身だ。
この高校は東大を数多く輩出していることで有名である。実際、茂木先生も東大だ。


その例を挙げればきりがない。
むしろ、まったくできない人間がこういう勉強をして有名大学へ進学した、成功した、という話はほとんど聞かない。私の知る限りでは、代々木ゼミナールでおなじみの、古文の吉野敬介先生くらいだ。


つまり、世の勉強方法とはできる人間(そのポテンシャルを持つ)が実力をフル回転できるものだ。
もともとできる人間だから、とうぜんモチベーションも違うし、勉強して合格をもぎ取ったという経験(今どき風に言う成功体験)もある。書いてある勉強方法ができて当然だし、それで結果も出せるはずだ。


問題なのは、そういう「勉強法」を読んでいる人は、そういう人間ではない、ということだ。
そもそもできる人間・ポテンシャルの高い人間は放っておいても、やると決めたら結果を出す。そうでないから勉強法に頼る。
そこを考えないで、むやみに勉強法に頼るから彼らは失敗する。
そして、失敗を勉強法のせいにする。


そうではない。


できる人間と同じ勉強法をしたところで、必ずしもできるとは限らない。
勉強法から自分の合うようにディレクトしなおすことが重要だ。
だから、必ずしも「勉強法」はあてにならない。


勉強法に頼る人間はそこを考えるべきだ。