活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

必ずしも高速道路はいらない

いま、大学が求めている力。
それは、どう情報を収集し、その情報をどう整理し、新しい課題を発見するか、です。


つまり、情報を使った課題発見能力です。


これは、大学だけでなく、企業も求めています。
世のビジネス書にも書かれていますが、今の社会は「情報社会」ではなく「知識社会」です。
それまでの情報を収集・整理することがメインではなく、そこから何を新しく生み出すか、クリエイティブな部分へシフトしています。


ただ本来、大学はそういう場だったはずです。
それまでの情報を整理し、そこから自分なりの考えを構築する。大学生が最後に作る卒業論文です。
そのために、情報をどう収集するか、どういう見方で整理をするか、整理した情報へどうアプローチするか。どれもビジネスの場へ十分に応用できます。
もちろん、情報の収集・整理の仕方は学部学科によって異なります。大きく分けでも、文系は文献、社会学はフィールドワーク、理系は実験で情報を収集します。情報の解釈の仕方も、文理で大きく異なるでしょう。
しかし、情報の操作の仕方は変わりません。
情報から結論へ至るプロセスは、いわば富士山を山梨側から登るのか、静岡側から登るかの違いです。


しかし、今の大学生の多くはそれができません。
もちろん、大学進学率が上がっているために相対的に質が低下していることも一因です。
ですが、それ以上に情報過多な状況にいることが挙げられます。
現在の社会は、判断すべき情報・収集できる情報が多すぎるのです。
そのために、学生は何を集めればいいのかが分からない。あるいは、簡単にコピペで済ませてしまう。
どちらにせよ、情報からクリエイティブなものを作り出すことはできません。


個性が問われている時代でありながら、出てくるものは紋切り型の、ステレオタイプのものばかり。
情報が溢れすぎているために、スタンダードしか信じられなくなっているわけです。
個性を主張するということは、「他人とは違う」と主張することです。
そのトレーニングを、今の大学生(に限らず学生全般)ができるわけがありません。


もちろん、情報があることにこしたことはありません。
そこから判断することができるからです。
ただ、今の状況を考えると、情報が多すぎるために過ちを犯しているような気がします。


この状況を打破するためには、あえて情報を遮断してしまうことです。
テレビを消す、ネットを切る、携帯をオフにする……情報を遮断することで、本当に自分に必要な情報を考えるのです。
そこから必要な情報、欲しい情報を考えていけば、余計な情報を切り取ることができます。
あるいは、今必要な情報のみにしてしまえば、素直に情報を整理・加工することができます。


繰り返しになりますが、情報が多すぎるのです。
情報からどう課題や解決を見つけるか、そのために入ってくる情報を制限する必要があるでしょう。