活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

論証として正しいのか?


世間は七夕だけど、そんなイベントは関係なく(泣)。


日本の殺人 (ちくま新書)

日本の殺人 (ちくま新書)


人を殺すとはどういうことか。
なぜ人は人を殺すのか。
人を殺した人はどう裁かれるのか。
そして、その後どうなるのか。


殺人を包括的に扱った新書です。
『殺人の罪に関する量刑資料 上・下』をもとに、日本での殺人原因は何なのかを探っています。
それによると、加害者も被害者も圧倒的に親族が多く、憎悪が原因で殺人が行われているという。
つまり、昨今マスコミをにぎわしている「理由なき殺人」は例外だ、ということです。


人を殺すのだから、それなりに理由がなければ行われないでしょう。
窃盗や傷害よりも、もっと深い理由が。


本書を読んでいると、以下の三点を主張したいのだとうかがえます。
1つは日本の殺人は、諸外国よりも圧倒的に少なく、それも親族間の殺人がほとんどである、ということ。
それは先ほど書いたとおり、「理由なき殺人」はほとんど見られないことによる。
ただし、もととしている資料が1959年の資料であり、当然時代性が異なります。はたして、21世紀にも通じるのでしょうか。


もちろん、統計的には親族間の殺人が多いのは変わらないでしょう。
ただし、その質がどう変わっているのか。新しいタイプの殺人の数はどうなのか。そこが明確ではありません。
というか、本書はまったくといって表やグラフが出てきません。
量的変化や時代変化を考えるには、グラフ化をすることで一目瞭然になります。
申し訳ありませんが、本書にはそれがありません。穿った見方をすれば、著者の主張を正当化するために、あえてぼかしている、と言われても反論はできません。


2つ目は日本の治安の悪化をマスコミが喧伝しすぎている、ということです。
本書の言葉に従うならばレアケースを持ち出して、それを四六時中メディアが流すことで、視聴者がそういった犯罪が増加している、というイメージを抱いてしまっている、のだそうです。


これについては頷けます。
特にワイドショーでの無責任な発言には辟易するほどです。あれは報道ではありません。ある種の娯楽番組です。
ですが、それを視聴者が事実だと信じてしまうために現状のような状況が生まれているのです。
著者の言うとおり、メディアリテラシーを高める必要があるでしょう。


そして3つ目は、それらを含めて裁判員制度でどう人を裁くのか、という提起です。
裁判員制度は凶悪犯罪に対して実施されます。
ゆえに、殺人事件は必ず裁判員による裁定が行われます。
その時に、選ばれた裁判員はどう判断するのか。そのために、本書は基礎知識を提供する、という位置づけなのでしょう。


これらを総合して、同書はあまりにも専門書によっています。
学術論文としては別ですが、啓蒙書としてはいささか難解です。
本当は学術論文としても微妙なところですが。


資料操作の仕方が本当にこれでいいのか。
法学では解釈の問題が重視されるのかもしれませんが、今の殺人を論じているのに50年前の資料が古いですし、その資料も必ずしも目的に合っているとは思えません。
もちろん、他に資料がない、という問題があるのかもしれません。
そこは法学の専門家でなければ分かりません。


「理由なき殺人」についても、一年間の殺人事件数に対してどれくらいの数なのか。それが時系列にどう増減しているのか。そのあたりが明快ではありません。


著者の主張の後付け的な要素が否めません。
もっと別の資料やアプローチができなかったのでしょうか。