活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

なんだか都合のよい女のような気分だ

最近、よく分からなくなりました。
仕事の評価は結局報酬によって評定されます。
だから、できる人ほど給与が高い。


これは分かります。
しかし、では、その報酬と仕事の釣り合いはとれているのでしょうか。


たとえば、年収600万の人と300万の人がいます。
どちらも同じ仕事をしていることにします。
年収に従えば、年収600万の人(仮にA)は年収300万の人(同じくB)の2倍仕事をする、ということになります。
時給にするとAさんは約2100円、Bさんは約1050円です。
おおむね、それだけの利益を稼ぐには3〜5倍の売上が必要だといわれています。
はたして、それだけの違いが本当にあるのでしょうか。


いや、そもそもAさんの1時間とBさんの1時間に本質的な違いがあるのでしょうか。
それだけの生産性があるのか。
その価値を決めるクオリティを換算しているのか。


つまり、基本的には仕事の内容で給与が決まっているわけで、AさんがBさんの2倍の仕事ができる、というわけでがないということです。
多くの場合、仕事内容で金額が決まるわけで、必ずしもその人のポテンシャルで決まるわけではない、と言いたいわけです。
もちろん、上層の仕事をする人は必然的に有能ではないのか、という命題も出せそうですが、現実をみると必ずしもそうとは言えません。
だとすると、われわれの評価とは一体何なのでしょうか。


評価が金銭によって明示されているのではないのなら、職場における我々の評価とは無意味ではないのか。
500円の仕事を1時間に10こなせる人と、2500円の仕事を1時間に2こなせる人は同じ評価になるはずです。
しかし、現実には後者がより高い報酬を得ています。
というか、役職(仕事が上層に)が上がれば上がるほど、指数・対数的に報酬は上昇します。
このことが、格差を生み出しているのではないでしょうか。


……ううん、なんかまとまっていないな。
我々が評価として信じ込まされてきた年収とは責任手当みたいなもので、現実の仕事に対する評価ではない、と言いたいわけです。
もちろん、営業職のようなインセンティブは別とします。1件の契約を取るごとに、インセンティブが発生すれば年収は評価指数といえるでしょう。
しかし、そういう仕組みは明確に評価できる業態のみで、いわゆるサービス業では適用されません。


ゆえに、年収と評価はゆるい比例関係にありますが、必ずしも因果関係があるわけではない、ということです。