活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

コミットメントしていく孤独感、スタンドアローンの共生


日本の難点 (幻冬舎新書)

日本の難点 (幻冬舎新書)

社会学者、宮台真司が日本の問題について総括的に提起した意欲作
……という風に紹介すればいいでしょうか。


本書の論点は一言でいえば、空洞化した社会をどう再構築してコミットメントしていくか、ということです。
それをコミュニケーション論・メディア論、若者論や日本論と論点を切り分けながら説明しています。


社会学において現実世界はポストモダン化が進んだ世界だと認識されています。
ポストモダンが何を意味するのかは曖昧な気もしますが、絶対的な価値観(父性的価値観)の喪失、交換可能な社会(相対化された価値観)がそれだと考えて問題ないでしょう。
そのあたりは専門ではないので、ポストモダンを論じている方々に任せます。


ともかく、問題は無条件に信じられる絶対的価値観を喪失してしまった、ということです。
ゆえにどの価値観も相対的になり、個々が信じる価値観にすぎなくなってしまいました。
そうすると、信じるべき「社会」そのものも相対化され、多数が信じられる「社会」がなくなってしまったわけです。
それが今の日本の「個人主義」の一端です。


かつて日本は天皇制において、信じるべき価値観を築いてきました。
すなわち天皇という絶対権力を作り上げることで、それを日本が信じるべき価値観としたのです。
だから、天皇制は何度も危機を迎えながら生き残ってきました。
同時に、天皇制は責任の所在もなくしました。
最終的に天皇に責任が集約され、しかし天皇は絶対的価値観ゆえに責任をとらせることができない。
それが現在の政治能力の欠如にもつながるわけですが。


さて、信じられる「社会」がないポストモダンの現在ですが、現実に生きるために「社会」は必要です。
だから、宮台氏は「みんな」がコミットメントできる社会を再構築する必要性があると説いています。
その「社会」とは包括的な「大きな社会」であるとしています。
「大きな社会」の具体的なイメージは読み取れませんでしたが、少なくとも個人をフォローアップできるシステムを持つもの、とは理解しました。


宮台氏の理論が正しいかどうか別として、現実問題としてコミットメントできる価値観を創出することが急務です。
それをなすべき政治が機能不全を起こしているのが、今の問題点と言えるでしょう。