活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

ここにない、カタチを

自分はどんな演劇をしたいのか。
それを、自分が考えている脚本から客観的に分析してしました。


これまで考えたのは、言葉が通じないカップルの物語、互いの思惑が衝突する3人の物語です。
そして、今考えているのは、言葉のない演劇。
部屋の中に一組の男女がいるが、二人は互いの存在に気付かない。その中で、普通に部屋の中で生活している。そんな演劇です。


ここから、「言葉への不信」と「Relationship」という言葉が浮かびます。
年間100冊以上読んでいる私ですが、言葉への不信感が見えます。
言葉だけでは人は通じ合えない。だから、互いの言葉が通じないカップルが出てくるし、言葉のない演劇が出てくるわけです。
けれど、演劇をするとどうしても「言葉」を信じずにはいられません。
我々は「言葉」から登場人物の関係性を見いだし、言葉から人柄を察するからです。


しかし、もう一度考える必要があります。
本当に言葉だけで人は通じ合えるのか、を。
言葉以外で関係性を作り上げているのではないか。


だから、もう一つ「Relationship」という言葉が出てきます。
関係性、我々は誰かと関係性することで社会生活を営んでいます。しかし、それはどんな関係なのか。
実は関係していると思い込んでいるだけではないのか。


高度に発達した社会の中で、人は他人を消去するすべを学びました。
言い換えれば、自分が認識した人間以外を人間と認識しないことです。
だから、電車内で平気で化粧をし、食べ、地べたに座るのです。他者がいれば羞恥の感に堪えないはずです。
彼らは「恥ずかしい」という感覚がないのではなく、周囲にいる人間を自分とは関わりのない「もの」と認識しているのです。


だから、我々はもう一度「関係」を考える必要がある。


どの脚本もまだカタチになっていませんが、徐々に自分のしたい演劇というものが見えてきました。
「言葉への不信」と「Relationship」
これをどう表現するのか。
ちょっと面白くなってきました。