活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

14歳は過ぎたけれど

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に


もう14歳でも、14歳からやり直すわけでもありませんが、宮台真司がどのような社会学者なのか知りたくて読んでみました。
流石に、14歳を対象にしているだけに、過激・難解な内容はありませんでした。


ここで述べているのは、どうすれば社会や自分がよりよくなっていくのか、を社会学がどう考えるかというものでした。
当たり前と言えば当たり前なのですが、社会学というものが流行っている中で、社会学って何? と問われることも多くあります。


社会学ほど何をしているのか分からない学問もないのではないでしょうか。
その原因が現代社会をどう見るか、という学問に起因しているからです。
現代社会をどうとらえるか、という手法が問題になる学問なのです。ゆえに、方法論は数多存在します。一方、他の学問は方法論が決められて、その中でどう真理・事実を導き出していくか、という学問です。例えば、歴史学は決められた史料検討があり、史料の解釈や関連性から歴史を復元します。異なるのは史料解釈と史料同士の関係づけです。
ですが、社会学は何を扱うのか、それ自身が問題になります。
もちろん、資料収集や検討方法は類似ししています。しかし、どういう切り口になるかは、その人によって異なります。


本書は、その基本となる「社会とは何?」について述べてもいます。
だから、どうしていくことがいいのか考えていきましょう、と述べています。


ただ、気になったのは、これからの社会は「その人個人がどのような能力を持っているか」が重要だ、学歴社会ではない、といっていますが、一方でエリートによる社会先導が必要だとも暗に述べています。
誤解がないように。
エリートによるリーダーシップが必要と書かれていますが、それは独裁という意味ではありません。民衆が寄り集まっても、かえって衆愚政治になる、ならば正しい志を持ったエリートが、開かれた国家でリーダーシップをとった方が良い社会になる、というものです。


私がここで問題にするのは、そのエリートは学歴によって生み出される、ということです。
例えば、ドイツ。この国はマイスター制度を取り入れています。義務教育が修了すると、彼らは政治家・学者などの専門家になる学校に入るか、職人になるための学校に入るか選択します。その段階で階級が生まれるのです。本当にエリートを生み出そうとするなら、そのような階級教育が必要となります。
日本に置き換えるなら、東大に入るためのプロセスがそれと言えるでしょう。ただし、そのプロセスは制度化されていないから問題があるのです。


「良い社会」とは人によって異なります。
それは宮台先生自身も述べています。ベンサムの様な「最大多数の幸福」を求めていくことになりますが、その第一歩として中学生・高校生が本書を読むのもまた必要なことなのかも、と思います。