活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

劇とは激か

最近、ふと思うことは、本当の演劇とは「1時間ただ立っているだけで舞台が成立すること」ではないか、ということです。
確かに、台詞を話すこと、動くことも演劇ですし、そこから何かを伝えようとしています。しかし、同時に何もしないこと、何もないことでも観客を惹きつけることもまた、演劇ではないかと思うのです。


空白の存在、というわけではないです。
確かにそこにあるんです。ただ、意図的ではない、といったほうがいいのでしょうか。
一番近い表現は「間」でしょうか。
「間」は、見えないけれど、確かに感じられる時間空間です。
それを究極的に引き延ばせば、1時間でも何もしないでも、観客を惹きつけられるのではないか、そう思うのです。


決められた言葉や動きは、極論してしまえば作為です。
ですが、それを剣道や柔道の型のように何千回と繰り返すことで作為が薄れます。体に染み込む、といった方がよいでしょうか。遂に反射的に動きが出れば、それはもはや作為ではありません。
たぶん、そういったことを究極的にすれば先述した通りになるのではないでしょうか。


ただ、それができる役者はどれほどいるでしょうか。
そもそも、それができるのか。
面白いテーマだと思うのですが、難しいテーマでもあります。


なんて、ちょっと考えてみたり。