活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

こんな日本に誰がした!

教育格差が日本を没落させる (新書y)

教育格差が日本を没落させる (新書y)


格差社会ですね。
よいか悪いかは別として。
持つものと持たざるものは、努力するものとしないものと対比できます。
これは嘘や可能性ではなく、予備校職員としての実感です。


親の職業をすべて知っているわけではありませんが、知りうる限りでは中堅校以上、なおかつやる気のある生徒は、ほぼ例外なく有名企業社員のお子さんです。
それがなぜなのか、不思議に思っていましたが、福地氏『教育格差が日本を没落させる』を読んで納得しました。すでに親を見て、自分の可能性を否定しているんですね。


正直、この本を読んで「やっぱり」という感がありました。
親の経済状況が、こどもの教育格差に比例することは分かっていました。特に私のいる神奈川県は公立校が崩壊しているので、私立>公立という図式が生まれています。
大学全入時代でありながら、偏差値50以下の公立校の生徒は大学受験すら考えていません。その理由が親の経済格差なのです。
だから、我々が相手にする公立高校は中堅校以上に限られます。もっと言えば、早慶・国公立の合格数から上位校・トップ校を狙っています。限られたパイだから、中堅校も入っていると言うのが現実です。


そういう現状の中で生徒たちは非常にお気楽です。
理由は簡単です。親・教員が「いびつな平等主義」を教え込んできたからです。
信じられますか? 競争がいけないと徒競走は全員が並んでゴールする事実を。
そんな現状だから、公立の中堅下位校とトップ校の生徒が仲良く遊んでいる状況ができるわけです。少なくとも、彼らの意識では同列という気持ちがあるのでしょう。現実は、学力差において比べるべくもないのに。


はっきり言えば、現実を教えてこなかった親・教員のせいです。
社会は競争であり、競争に負けた人間は支配される側、競争から脱落した人間は人間と扱われないという事実を隠蔽し続けていました。
教員は「大学だけが人生じゃない」なんてもっともらしく言いますが、その教員自身は絶対に大卒です。


逆に私ははっきりいます。「それは大学出てから言える言葉だ」と。そして、「今の時代は、大卒+君自身が何ができるのかが必要だ」とも。
私は修士卒なので、いわば高学歴側の人間です。
私から言えば、これからの時代、学部卒(いわゆる大卒)は当たり前です。今後は大学院を出て、初めて上級職に就ける時代になると考えています。現状、理系はすでにそうなっています。


かつてのように「東大卒は神様だ」という時代は終わりました。しかし、今の時代は有名大・難関大を出て当たり前、そのうえで、あなたはどんなスキルを持っているの?(企業にどんなメリットももたらすの)が問われる時代になりました。


せめて大卒は、という時代は終わりました。大卒当たり前の時代です。
そんな時代で、高校の授業だけ頑張っているのはおかしな話です。内申制度を取り入れた高校受験の悪しき産物です(ペーパーテストの結果ではなく、中学校の絶対評価の成績が50%を占める制度のことです)。だから、みんな高校の授業だけを頑張ろうとするのです。
無駄です。だって、高校の教科書レベルは大事ですが、授業はまったく無意味ですから。高校の授業は一部の私立・公立トップ校を除いて、先生の趣味なので、うける意味がありません(大学受験においては)。


親の経済格差が将来を決定するなら、逆転のチャンスは玉の輿か、難関大学に入ることだけです。
こう言うと、非常に戦前の日本を思い出します。
まあ、そういう社会なんですね。