活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

かつてのあなたから今のあなたへ

今と昔と比べて、昔の方がよかった、なんて言う気はありません。
しかし、今のこども達がどうしてものを考える力がないのか、その点について考察したいと思います。


前提条件として。
時代は進歩しています。当然昔より今の方が発達しています。ゆえに技術や情報、知識もより多くあります。


この前提条件から考えると、昔のこども(親の世代)と今のこどもでは、圧倒的に今のこどもが優秀なはずです。
しかし、現状を見ると、昔のこどもの方が優秀だったのでは、と思うことがあります。
なぜ、そんなことが起きるのでしょう。


その点について一つの推論を加えます。
確かに、技術・情報・知識はより多く、より発展した。
しかし、それを処理する人間側はどうだろうか。
つまり、大量の情報を摂取しても、それを処理しきれなければ何の意味もありません。


ここで考えられる問題は、今のこどもは昔のこどもに比べて、得られる情報が多すぎることが挙げられます。
存在する情報が多すぎるために、どの情報に優位性があるのか、判断できないのではないか、という問題です。


ですが一方で、生まれながらに大量の情報に触れているこどもは、その処理の仕方も自然に覚えるのではないか、という疑問も生まれます。
そこに示唆を与えてくれるものは「経験」ではないでしょうか。
我々にも経験があるはずです。言われて分かっているつもりでも、実際にやってみて初めて気が付くことが。
例えば、「何々をするのは(どこどこは)危険だ」と言われても、実際に怪我をしてみないと、その危険性は理解できないものです。
今のこども達は「経験」が不足しているのではないか。
そのために、「経験」から生まれる処理能力・判断能力が養われないのではないか。


処理能力がないために大量の情報を得ても、それを使いこなすことができない。
それが今のこどもの現状ではないでしょうか。


逆に言えば、それを解消できれば今のこどもは驚くべき力を発揮するはずです。
ただし、その方法が見つからないのですが。