活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

一年の計は誕生日にあり

今日7/20、誕生日を迎えました。
年が一つ増えても何が変わるわけではないのですが、長い年月を振り返ってしまいます。


学生時代は潔癖さを求めていましたが、今は汚いものも飲み込まなければならないと理解しています。
矛盾するようですが、自分の潔癖さを維持するには、汚濁も受け入れなければなりません。
結局、世間が汚い限り、純粋でも清廉でもいられません。
そういう意味で清濁併せ呑む必要があります。


ただ、それにひどく疲れることもあるんですよね。
ある種自分を偽る行為ですから、そこにストレスが溜まります。
ビジネス書には、それを貫徹する意思と能力が必要だ、と言っていますが、自分はまだまだですね。


仕事に生き甲斐を見いだせれば、それもまたやむなしと思えるのですが、そういうわけでもありません。
日々自分の問題点を見つけて修正していくだけの日々です。
自分を高める行為ですが、そこに喜びはあまりありません。
自分を納得させてやっているだけに過ぎないんですよね。


ある程度、納得はしていますが、腑に落ちているわけではありません。
やはり、自分のしたいことをするのが一番です。
ただ、それができるかは、また別の話ですが。