活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

ツールは道具であって思想ではない


私自身、古い人間です。
知識・技術の継承を、なんだかんだ言っても徒弟制(それに近い状況)によって行っています。
それが独自の(流出してはいけない)知識・技術ならば問題ないのですが、今時そんな知識・技術はほとんど存在しません。
だからこそ、知識・技術の伝達のために、情報のマニュアル化・言語化が必要になります。


今、仕事ではそれを実践しています。
情報のマニュアル化です。
私たちが行っているほとんどは方法論に過ぎません。方法を用いて目的を達成する。そのためのツールに過ぎません。
なので、それは誰にでも使えるようにすべきなのです。
特定少数の人間しか使えないツールは無用です。
クオリティーの高いツールを誰もが使えれば、その組織は全体を底上げできます。
時間の短縮にもなりますし、思考の余裕も生み出します。
それが新しい知識・技術の開発にもつながります。


一方で、そのようなツールを使いこなすことでアルバイトが社会人になるのに必要な知識・技術を得ることができます。
それがひいては社会に貢献(見えない形で)することになります。
誰もがそうやっていけば、やがては社会全体のポテンシャルが上がるはずです。


本来、そうしていれば社会のポテンシャルはもっと高いはずです。
いかに、できていないか分かるでしょう。


今の私の仕事の半分はそこに注力しています。


芸術も同じではないでしょうか。
マニュアル化されたツールを使って、表現する。
ただ、勘違いしている人がいて、ツールを組み合わせれば、それが表現だと思っているんですよね。
そうではなく、目的のためにツールを使いこなすことが重要です。
手段が目的ではないのです。


と、最近、そんなことを思います。