活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

あとの祭り

とある評論にこんなことが書かれていました。
団塊ジュニアは「祭り」であり、新人類ジュニアは「祭りのあと」だ、と。
どういうことかと言えば、これもその評論の例を挙げますが、団塊ジュニアは「フジロックフェスタ」に代表されるように、遠くても場所へ行って2,3日熱狂的に盛り上がる。しかし、新人類ジュニアは「サマーソニック」のように都市部で手軽に盛り上がって、すぐに帰る。
言い換えれば、団塊ジュニアは自分の趣味に熱中しやすいが、新人類ジュニアはどこか引いている部分があるということです。


年代で置き換えれば、おおざっぱに団塊ジュニアは30〜40代、新人類ジュニアは10〜20代といえます。
団塊世代と新人類とのギャップであると同時に、そのジュニアもギャップが生まれているということでしょう。


で、少し考えました。
演劇もまた「祭り」です。では、新人類ジュニアのような「祭りのあと」を演劇にできないかなと。
演劇でも団塊世代団塊ジュニアは熱狂的なんですよね。それはそれでありですが、でも別な在り方もありじゃないかなとも思うのです。
で、「祭りのあと」のような演劇はできないものかと思ったわけです。


基本は不条理劇のような形になると思います。
今日思ったことは、舞台奥に平台や脚立などを無造作に置く、というものです。本来、演劇の空間に存在しない、むしろ、その前後に現れるものを置いたらどうなるのか。
かといって、本当に舞台後を演じるわけではありません。それはやはり「祭り」になってしまうからです。
そういう空間で役者が演じるとどうなるのか、興味があります。終わった空間で我々は何かができるのか。それが「祭り」ではなく「祭りのあと」であるのか。


チャレンジしてみたいことではありますが、今のところ、考えつかないのが難点です。