活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

舞台上のリアリティ

舞台上のリアリティとは何か。
それは昔から考えていたことです。少なくとも、現実のリアリティとは違うことは分かっていました。また、新劇や大規模商業劇のような記号的なものでもないと。


しかし、では演劇におけるリアリティとは何なのでしょうか。
最近思うことは「関係性」ではないのか、ということです。舞台上で役者Aと役者Bの関係が成り立っていること、それが演劇におけるリアリティだと考えるようになりました。
案外簡単じゃない? と思うでしょう。しかし、これが案外難しいのです。
なぜなら、互いが台詞を喋っているだけでは関係性は生まれないからです。


「分かってる?」
「うん」
「本当に分かっているの」
「分かってるよ」
「アンタはホントいつもそうやって口ばっかり」
「うるさいな」


これを読んだだけでは、関係性は生まれません。語られるシチュエーションも感情もないからです。
普段でも成立していない会話はいくつもあるでしょう。それは関係性が生まれないものです。同様に、演劇もただ台詞を言っただけでは関係性は生まれません。


もっと言えば、イッセー尾形のような一人芝居であっても関係性は成立します。向かう誰かが舞台上に存在すれば(架空であっても)、それで関係性は成立します。
逆に、いくら人数がいても、関係性が生まれなければ、それは「孤」の集団に過ぎません。


ただ問題なのは、その関係性をどうやって舞台上で生み出すか、その方法なのです。それがまだよく分かりません。