活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

先を超えた先にあるもの

面白いものって、こちらの想像・予想を大きく裏切ってくれます。
私が意識・無意識に考えている範疇を超えているからこそ、それは面白いのです。
しかし、それを行っている人(演劇:役者、小説:作家)が何かを超えない限り生まれません。


だから、どんなにうまくできていても、小さくまとまっている以上は面白味を感じられない、驚きを感じられません。
難しいところなんですが、音楽がよく分かると思います。すごくうまい人がいるのだけれど、特に聞きたいとは思わない歌手っています。逆に、たいした歌唱力はないのに、聞きたいと思う歌手もいます。その違いは何なのでしょう。
一つには、その歌を自分自身のものとして歌っているかどうか、ということです。
歌唱力のある人は、技巧や歌いまわし、声色を気にしますが、でも、そんなことはあまり重要ではありません。歌を自分のものとして語りたいかどうか、だと思うのです。


こんなことを言うと、精神論者だと思われるのですが、技術をないがしろにしているわけではありません。むしろ、技術がなければそれができないと思っています。
ただ、スタンスが違うのです。ただ技術があるだけなのか。それとも、何か伝えたいものがあるから技術を使うのか。
その根幹が重要だと思うのです。


しかし、それをどう体系化すべきなのか、そこが分かりません。様々な作品を見て考えるのですが、今のところ答えは出ていません。