活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

家族のカタチ

今日はお休みだったので、『サルバドールの朝』を見に行きました。


流石スペイン映画、作りが丁寧です。
相変わらずヨーロッパ映画は自然体としてのリアリズムに徹しています。演技に不自然さを感じさせません。
また、フランコ政権下70年代の香りをそこかしこにちりばめて、装置としての世界観を作り上げています。多くはよく分からないものでしたが(70年代のスペインで流行っていたものなんて知りません)。


どうして青年が学生運動に参加し、革命闘争へと身を投じていったのかを描いています。しかし、最終的に行き着くのは「家族」。
ヨーロッパのテーマなのでしょうか。どんなに放蕩しても、結局家族へと回帰していく。そういう物語を散見します。


日本でも、あと数年ののちには「家族」という問題に向かわざるを得なくなるでしょう。それは昨今のニュースを見て明らかです。家族の崩壊が起きている現状に対して、映画や小説などの表現側が何らかのアプローチをするのは火を見るより明らかです。
ただ、その時、日本が求めるべき「家族の肖像」とはどのようなものでしょうか。サザエさんのような理想的な拡大家族なのでしょうか。
ヨーロッパには回帰しようとしている家族像はある気がしますが、日本はどうなのでしょうか。


と、映画とは関係のない方向に行ってしまいました。
『サルバドールの朝』は王道的ヨーロッパ映画で、質の高い作品でした。