活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

猪突猛進と

今日、電話対応ができないというアルバイトの子と話をしていました。
本人曰く、ほとんど電話に出たこともないし、受け手として電話に出たこともないそうです。


少し考えて、確かにそうだろうな、と思いました。
今のこどもは友達同士の会話はあるけれど、相手を立てる、敬語を使う会話をほとんどしてきていません。親も教師もいまや友達同然です。
それはそれで仕方ないと思います。


ただ、ちょっとネックだったのが、敬語なんてなくなればいいのに、という発言でした。冗談半分だったとは思うのですが、自分が足りないことに対して、何らかの手段を講じるのではなく、現状を悲観する、現状に諦める行為はどうかな、と思いました。
正しい、正しくないはともかく、必要なことなのだから、それは自分が得ようとアクティブにならないといけません。そういうアクティブさが欠けているような気がします。


できないならできるようにすればいいし、ないなら作るなり、そのままで貫くべきです。
そういう主体性が最近の子には見られない気がするのですが、どうなのでしょうか。