活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

自分の考えを述べる

最近、人生の面白味を考えている。特に仕事の面白さについて疑問とするところがある。このままでいいのであろうかと。
確かに、仕事は賃金を得るための労働だ。その部分は否めない。しかし、仕事は単なる労働ではない。そこに楽しみや面白味を求めてもよいはずだ。


ただ賃金を得るために八時間もの拘束を耐えるのは苦痛以外のなにものでもない。人はパンのみに生きるのではない。仕事の成果や周囲に及ぼす影響、もっと言えば顧客の感謝や喜びを求めている。
それを感じられなくなったら、何のために仕事をしているのか分からなくなる。一日の大半を消費するのでは、人生の面白さもない。そこに価値を見いだし、創り出さなければならない。
その仕事に対する熱意がそのまま面白味と考えてもいいだろう。しかし、世の人々は自分の仕事にどれだけの熱意を感じられるだろうか。


改めて考えてみたい。その仕事に面白味があるのかを。
本当に面白味がないのか、ただ感じられていないだけなのか。
仕事に価値を見いださない限り、自分の人生もまた無意味なものになってしまうだろう。


……と、樋口流に小論文スタイルにしてみました。
しかし、確かに仕事に面白味を感じられないのもまた事実。何ができるのか、何をしたいのか。その辺りを真剣に考える時期に来ているのでしょうか。