活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

舞台って面白いけど難しい

今日、友人が出演している演劇を観に行きました。
ぶっちゃけて言えば演劇工房・春公演『記念写真』ですが。


http://www.em-studio.net/geki/


これから書くことは、基本的に彼らが素人であることを前提としています。当然、プロや玄人に対する評価とは違いますし、だからどうした、というわけでもありません。
もし、万が一知らない人が見て、「何を言っているのだ、こいつは」と思われるのがイヤなので、先に明言しておきます。


それを踏まえて。
今まで(演劇工房を)観てきた中では、面白かったです。判官贔屓の部分もありますが、出演者が経験を積んできたこともあると思います。間の詰め方が巧くなっていました。
ただ同時に、それぞれの課題も見えてきました。全体的には演技の幅がないことです。同一人物が何人かの役をしていますが、その差が見えないのですよね。違う人物だ、ということを明確にして欲しかったです。多分、服装とか髪型とかで分けていたのでしょうが、微妙に分かりづらかったですね。
個人にもいろいろあるのですが、止めときます。あとが怖いから(笑)。


ちょっと怖いですが、遠藤さん批判を(苦笑)。というか、脚本ですね。
今まで観てきた舞台はわりとテーマとか向かう方向性が分かりやすかったのですが、今回の舞台についてはちょっと趣が違いました。複数の台本の抜粋ということもあるのでしょうが、何を言いたかったのかが分かりません。
実は、公演前に練習を観たことがあるのですが、その時はラストシーンがかつての自分達が出てきて、彼女らと一緒に記念写真を撮る、というものでした。ですが、公演ではそのシーンがばっさり切られていました。
練習の時もそうですが、そのラストシーンを観るまで、この舞台は何がしたいのだろう、と思っていました。それがなくなってしまったので、挿話的な物語を統一できなくなっていました。
今回の公演で、一番気になったことだったりします。


さて、公演から離れて演劇そのものへ。
舞台を観ていて再認識したのは、演劇や演技とはDoではなくBeだということです。つまり、「役をする」ではなく「役の状態にある」ということ。
演技をする、とは「その役を演じる」ことと同意義です。しかし、舞台に上がると、実はそれでは違和感があります。舞台上はもう一つの現実ですから、「お芝居をし」ているのはおかしいんです。


ここがむずかしいところなのですが、当然役者は演技をします。それは前提条件です。しかし、それを観客に悟られたらお終いです。観客には役である人物がそこにいると思わせなければなりません。
だから、舞台では役の状態にあらなければなりません。
さあ、難しくなってきました。
状態にある、にはどうすべきなのか。これが役者にとって一番の課題です。方法論は多様にあると思います。どんなことをしても、最終的に舞台上で自然になれればいいのですから。
この辺は「精進あるのみ」としておきましょう。私自身が明確な答えを持っているわけではないので。


……しかし、これを当事者が見たらえらいことになりますね。というか、自分の公演のときが恐ろしい。