活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

漬け物になってしまうかしら

昨日の演劇、今日も演劇。
なんだか演劇漬けの日々です。


今日はみなとYOKOHAMA演劇祭の特別企画公演『海狐 岡倉天心のこころ』を観ました。
話を要約すると、岡倉天心やその妻もと、愛人の初子の生まれ変わりが天心の書いたオペラ『白狐』を上演する物語、というもの。基本は岡倉天心の生涯を劇中劇で演じながら、『白狐』の上演に向かっていく。


脚本自体はよく言えばまとまっている、悪く言えば飛び出さない脚本でした。役者もプロの方々ばかりで、非常に巧く客を引き込む術を持っていました。
ただ、感じたのは作り込みすぎている、着込みすぎている、感がありました。
どういうことかと言えば、今の演劇は2方向に向かっていると思っています。一つは自分に仮面をかぶり、別の人物を演ずる演劇。もう一つは自分の裸を晒し、自分の別の一面を表出させる演劇。
どちらが正しいとは言いません。今日観たのは前者でした。確かに巧いし、ミュージカル仕立てで歌もうまかったです。ただ「私はこれこれこういう役を演じています」というのが、ありありと見えてしまいました。
それがイヤでしたね。妙に不自然な芝居なんですよね。特に、幕間に出てくるスタッフ役の女性はひどかったです。「私はスタッフ役を演じています」と顔に書いてあった。


実際に舞台上に立っている役者は「おっ」と思う瞬間もありました。一つの方向性として、ありと思う一方で、もしこの方向性で行くならば、もっと別の視点からアプローチしないとダメだな、とも思いました。


問題なのは、舞台上で「舞台とはもう一つの世界だ」と言っているにもかかわらず、役者が演じているのは、その世界の現実だ、と認識していないことでしょう。
だから、芝居をしている芝居になってしまうのだと思います。