活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

眩暈

人はその立ち位置からしか発言できません。
「その立ち位置」とは何でしょうか。年齢であったり、性別であったり、職業であったり、それまでの人生であったり。
多くの人は自分が立っている位置がどこなのか、どういう立場から発言しているのか、意識することは少ないんです。だって、それが自分の立ち位置ですから。


例えば、歩行者と自転車と自動車がいます。
歩行者は自転車と自動車を、自転車は歩行者と自動車を、自動車は歩行者と自転車を危険に思います。
おそらく多くの人がそれを知っています。経験がある人も少なくないでしょう。でも、運転者が歩行者に変わった途端、自動車が危険だと感じるのです。
つまり、これが「立ち位置」です。


この立ち位置を無視して話を進めるから、人は対話に齟齬を起こします。いわば、野球とサッカーが互いのルールで試合をしているようなものです。それでは決着がつきません。


最近とみに思うことは、この立ち位置を考えずに発言している人間がいかに多いかということです。だいだい世の中で起こっている問題は自分を中心に考えている人達が起こしている問題です。
確かにどちらにも理はあります。けれど、多くの場合、自分の非に目をつぶっているだけにすぎません。


立ち位置を変えられる頭になる、自戒を込めながら、そんな思考になりたいものです。