活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

それは共鳴する音叉のように

本当によい表現とは、それを感じたときに「何かを表現したい」と思えることだと思います。
表現──クリエーションという定義が何であるか。
その答えは十人十色だし、おそらく誰もが納得する答えを出すことはできないでしょう。
しかし、私は表現を感じたときに、そこから「何かを表現したい」と思うことが、素晴らしい表現だと思っています。


例えば、演劇や映画を見たとき、「ああ、小説が書きたいな」と思うことが多々あります。小説やマンガを読んでいて、意識が別な想像をしているときもあったり。
表現に喚起されて、それに近いことをしたい、わけではないのです。SFを見たからSFを書きたいわけでも、ミステリを読んだからミステリを書きたいわけではありません。
不意に「自分も表現したい。何かを作り上げたい」と思うことがあるのです。


『パプリカ』だったか『夜のピクニック』だったか、何を見ているときかは忘れましたが、その時に昔考えた猫の国に住む人間の話が不意に出てきました。その話はSFでもミステリでも青春小説でもありません。
でも、それでもそれが書きたい、と思ったのです。
つまり、そういうことです。


よい作品は確かに人を感動させます。
でも、それ以上に人から何かを引き出そうとします。その引き出されたものこそが「表現」なのかな、と思っています。
そういう作品に出会えるから映画や小説やマンガや音楽といった「クリエイティブ」を止めることはできないのでしょうね。