活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

もー、ダメだぁ〜

しまっちゃうオジサンにしまわれちゃうんだぁ〜。
なんて、『ぼのぼの』ネタをしてしまう時点でダメ人間ですが(苦笑)。


別にダメ人間の話をしたいわけではなく、友人との会話のこと。
一言で言えば、仕事のスタンス? あるいは人生哲学の違いなのかも知れないですが。
その中で考え方の違いがはっきり出ていたな、なんて思ったわけです。どちらがいいというわけではないのですが。


喩えるならば、レストランに入って友人は料理の善し悪しを気にするのに対し、私はサービスの善し悪しを気にする、といった感じです。
友人は「出来ない人間ができないことを理由にしてミスをして欲しくない」といった発言をしたわけです。それ自身は正しいことです。その根底には「仕事のクオリティ」を重視する思想があるのでしょう。
私は「仕事ができる人間でも、人間性の欠ける人と仕事はしたくない」という発言をしました。個人的信条として仕事の出来と人間性の善し悪しに相関性はないと考えています。
ですが、どこまでいっても人間は感情で生きている生き物です。仕事であろうとプライベートであろうと「面白いこと」がしたい私としては、人間性を疑う発言をする人と「面白いこと」ができるとは考えていません。


ある人が「10人の人間がいたら、2人は気に入り、2人は嫌い、残りの6人はどちらでもない」と言いました。要するに、20%は仕事でもプライベートでも一緒にはなれない、ということです。
結局、世の中の多くは純粋に個人の持つ技術によるものではなく、人間関係の下、仕事が成り立っているわけです。
最近の企業が声高に「コミュニケーション能力のある人材」を求めていますが、そこに起因するわけです。だから、つまらないなれ合いがあり、社内政治があり、もつれがあるわけです。


どちらが正しい正しくない、良い悪いではありません。それぞれに必要なことなのですから。
ただ、なんとなく互いの持っているスキルは違うのだろうな、と思ったわけです。友人は技術を必要とする職に向いており、私は人間関係の中で仕事が進む職が向いているのかな、と。


特に何がある、というわけではないのですが、時折そんなことを考えたりします。