活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

『ゲド戦記』見ちゃった(>▽<)ゝテヘ

噂の『ゲド戦記』を劇場に観に行きました。


結論から言えば、さすがはスタジオジブリスタッフ、菅原文太格好いい! だけです。


確かに今までの技術とネタを投入して、ある意味ジブリの集大成あるいは原点回帰なのかも知れませんけれど、あくまでテクニカルな部分に過ぎず、テーマやモチーフは陳腐・お古としか言いようがありません。
ネタバレなどの発言が出るかも知れませんが、まずストーリーが予想通り。CMのシーンはここで来るんだ、とか次の台詞はこんな台詞だ、といった予想がことごとく的中してしまいました。水戸黄門みたいに、先が分かっていることが前提の作品ではないのですから。


ストーリーや演出を見ても悪くはありません。それなりに見られるものには仕上がっています。それが宮崎吾朗監督の手腕なのか、スタッフの手腕かは推測の域を出ませんが。
実は、私は原作を読んだことがありません。そもそもメディアミックスが原作に忠実である必要性はどこにもないと考えています。なので、原作と違うとかそんな発言は控えますし、できません。
それを加味して宮崎吾朗監督作品、映画『ゲド戦記』はなんら見るところがありませんでした。来年か再来年讀賣テレビで放映されたときに「ああ、これがそうね」と思うくらいで充分です。


ゲド戦記』を一言で言い表すならば「説教臭いナウシカ」です。随所に共感できない──感情移入する前提を持たない台詞が多くあり、説教以外の何者でもありませんでした。有名な「命を大切にしない奴なんてダイッ嫌いだ」の台詞もテルーの生い立ちが登場人物によって簡単に説明されただけで、観客としてはそれで泣けといわれても、「ええっ!」って感じです。
テナーとゲドの出会いもどこかの墓所だと言うことは出ましたが、一切ストーリーに絡んできませんでした。多分、原作のシーンなのでしょうが、映画だけしか知らない人はよく分かりません。
そもそも、アレンの逃亡や葛藤が詳細に描かれていないのに、テルーの言葉であっさり立ち直ったり。バックボーンのない状態では自己満足の何者でもない。


ファンタジー三大作品(『指輪物語』『ナルニア国物語』『ゲド戦記』)のすべてが映像化されたわけですが、どれも原作は非常に長い作品です。にも関わらず、『ゲド戦記』は一部分を本当に切り抜いただけでゲドの多くを語ろうとしています。ましてや2時間で語れるテーマではないの明らかです。
第一、『風の谷のナウシカ』ももともとは長大なストーリーがあって、その一部を切り取った上、テーマを絞って映画にしているから何とかなったのであって、それがない『ゲド戦記』は文学新人賞に落選するような作品と大差ありません。


すべてが中途半端に置き去りにして終わられた気分です。とても「終。」にはならないですね。
はっきり言って、これだったら宮崎吾朗監督でもなくてもよかった気がします。だったら、外部から監督を持ってくるか、ジブリスタッフから出せばいいのに。まあ、どちらも失敗しているんですが。
結局、ジブリ宮崎駿の呪縛から良くも悪くも抜け出せないようです。