活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

ネットとニューロンの交錯点

世界を明文化する方法は分類(Classification)と索引(Index)じゃないかと時々思います。
学問はつまり、混沌としたデータの海を分析することによって、各データを分類・類型化してインデックスにすることが、すべてに共通する方法論なんじゃないでしょうか。
バラバラになった書類を項目や属性ごとに分類して、それを整理することを学問や人間は日常に行っているわけです。
ウェブ進化論』でも同じようなことを言っていましたが、情報社会で必要なことは膨大に存在するデータのインデックス化だと思います。ネット上では一人の人間が処理しきれないデータが浮遊しているわけですが、それはあくまで大海に浮かぶ流木のようにほとんどが孤立している状態です。もちろん、リンクによって繋がっているわけですけど、それはシステマチックな接続であって有機的な(有効な?)繋がりではありません。
いわば情報の使い捨てのような状態が往々にして起きているわけです。もし、それが有効で有機的な有意義であるリンクを得て、自ら新しい構成を生み出すとしたら、本当の意味での情報社会になるのではないでしょうか。
何が言いたいかと言えば、ようするに情報の交通整理員(黄色い旗を持ったおじさんおばさん)が必要だと言うことです。もっとも、それを「はてな」は目指しているわけですけど。
はてな」の目指す方向は人間を完全に排除した自動分類です。確かに人間に任せるより正確に分類するでしょう。郵便の集配システムのように、吐き出されたデータを黙々と分類してインデックスにすればユーザに有益です。
しかし、同時に人間が行う分類というのは、時に思わぬ関連づけをすることがあります。それが誤りの場合もあれば未知なる分類であったり。そういう有機的な行動による成果があってもいいかなと。つまりは連想ゲームです。そんな遊びも含んだ分類はできないものでしょうかね。


そもそも、日記を書く行為そのものが自分の中のデータを整理する行為(分類と索引)なんですけどね。