南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へ行ける、と説いたのは浄土宗だったか。
鎌倉から数百年たっても人は変わらない。
人は「何か」信ずべきものにすがりついて生きている。
それが国家や宗教、組織、個人など形を変えているものの、根本は変わらない。
それが嘘であったとしても、信じさせてくれたものを信じる。
この構造は人類がどんなに進化を遂げても変わらないだろう。
宇野氏がいうような「ビッグファーザー」は消失したとしても、人は何かを信じようとする。
信じなければ人は生きていけないのだろう。
だから、宗教はいつの時代も存在するし、新興宗教は相も変わらず増殖し続ける。
その是非はともかくとして。
我々もまた生きていく上で信じていかなければならない。
特に社会人は、程度はあるものの、会社や社会を信じて生きていかなければならない。
だから、会社や社会は嘘だとしても信ずるに値する何かを提供しなければならない。
会社であれば企業理念であるし、社会であれば安全・安心だろう。
その意味で原発や年金は、かつては信じることができた「神話」といえる。
だが、もはや信じることのできない嘘に変わってしまったが。
嘘も方便とはいかないものだ。
信じられなくなったら新しい「信仰対象」を創出しなければならないのに、それができていない。
いや、そもそも今の会社も社会も「信仰対象」を作り出す力がない。
それでいて、有象無象の「リトルピープル」が氾濫している。
別にナチスドイツや日本帝国のようになれとは言わない。
全員が信じられるものでなくてもいいので、ある集団が信じられる「何か」を用意しなければ、組織は早晩崩壊する。
それを創出するのがリーダーのつとめではないだろうか。
強い組織は構成員が同じ「信仰対象」を持っているかどうか、ではないか。
本田宗一郎や松下幸之助、スティーブ・ジョブスはそれを作り出せたリーダーだと思う。