活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

大学に関するいくつかの私論


まずはじめに。
社会における大卒の価値は低下していることは事実だ、ということだ。
大卒はかつて幹部候補として企業は扱ってきた。
しかし現在、名ばかり管理職(店長)に見られるように、大卒であっても幹部候補ではなく、一兵卒扱いをされる。
20年前は大学進学率が25%前後(52万人)だったのに対し、現在は50%(62万人)に上がっている。
パーセンテージも、実数も上がっている。


つまり、大卒は当たり前の存在になってしまったのだ。
そんな社会の中で大卒辞退にどんな価値があるというのだろう。価値とは希少性に準拠する。希少性のないものに価値を見いだすことはできない。
東大ブランドも同様だ。
年間3000名程度の東大生が生まれ、その数はおおよそ大学生の0.5%に相当する。
しかし、昭和27年からの卒業生数は約17万人、人口のおおよそ0.14%に相当する。すなわち、1000人に1.4人が東大生という換算だ。
希少性はまだ高いが、知り合いの誰かは東大生といったレベルだ。
現在の大学生の半分が国公立・早慶上智・MARCH・日東駒専関関同立の学生だと言われている。偏差値から考えても、おおむね当たっているだろう。
大学生を集めたら、その半分が有名大の学生という計算だ。


大学ブランドはもはや役に立たないといっても過言ではない。
もちろん、ないことに越したことはないが、あるのが当たり前、というのが現実だろう。
当たり前のものをかざしても何の効果もない。運転免許証を高々と見せつけても誰も感動しないのと同じだ。


大卒が増えたのは高度経済成長のなかで、より高度な技術・能力を求められるようになったこと。より高給取りになるため。
もう一つは大学側の戦略もある。
大学の収入の基本は学費にある。当然、学生が増えれば学費も増える。
その結果、バブル期にはマスプロ教育になってしまう。
現在はだいぶ解消された代わりに、様々な学部学科が増えることになる。


大学ブランドだけで就職できた時代は終わった。
同時に、自分自身の能力が求められる時代に変わった。
そうなると、下手に東大を目指すのではなく、理工系だったら東工大、経済・法学だったら一橋大と求めるものによって大学を決めるべきではないか。
大学はそれぞれの強みを前面に出すべきだし、八方美人になる必要もない。


受験生は単純な偏差値だけで考えるのではなく、その先も考えなければいけない。
なぜなら、大学ブランドはあって当たり前。それ以外の能力を求められるからだ。
もはや、大学ブランドだけでは生き残れない。