活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

誰だって不幸なんじゃい

最近、不幸自慢の話が多すぎ。
デュラララ!!』とか『Angel Beats』とか『うみねこのなく頃に』とか。
ケータイ小説とかもそうですよね。


それ自体を否定する気はないけど、お前たちは昼ドラかってくらい不幸自慢していると、食傷気味。
生い立ちが不幸なこと自体は割とよくある話です。
しかし、それしかないと話のネタがないんじゃないかとさえ疑ってしまいます。


生い立ちはあくまでベースであって、それ自体がストーリーになるわけではないんですよね。
ある登場人物Aの不幸があって、その結果Aが何かを起こす。それに主人公が対峙して、話として展開する。
正直、不幸そのものに焦点を当てる必要はない。
小ネタとして挿入する分には問題ありませんが、それを前面に押し出されても、だから? といってしまう。


不幸な時代、不幸自慢をしたいのは分かるけど、それに共感したいのも分かるけど、だからこそ、そうではない物語っていうのが必要じゃないだろうか。
時代に流さない作品を作りましょうよ。


あるいは、『3月のライオン』みたいに、不幸話が鼻につかないくらいの物語を作ればいいんです。
そういう作品って案外少ないんですよねえ。