活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

オタクだもの

オタクがオタクとして認知されるのは外見ではありません。
よく、オタクが変わるには外見を変える必要がある、という発言やサイトがありますが、それは正しいとは言えません。
その始まりは「電車男」ではないでしょうか。


オタクがオタクとして認知されるのは、その言動によってです。
文化コードと言い換えてもいいかもしれません。
彼らの文化的行動は自分の価値観を押し付けることです。他人がどう思うのか、まるで気にしない、あるいは分からないのです。
だから、他人はそういった言動を「非常識」と考え、彼らをオタクと認知します。
その延長線上に、服装があるにすぎません。


同じことが、企業の社員にも言えます。
いわゆる「社畜」という存在です。
彼らもまた、企業というオタクであり、他人との価値観を共有することができません。
コミュニケーションが一方通行なのです。
それは硬直した価値観のためだからです。


世の中には「社畜」と徹底抗戦をする人がいますが、それは無駄です。
なぜなら、オタクだからです。
オタクである以上、彼らの価値観が変化することはありません。
彼らにとって自分のもつ価値観が絶対で、それが「常識」だと考えているからです。
他人がどう思うかなんて、まるで気にしない、あるいは分からないのです。


そんな社員ばかりの会社は多かれ少なかれ、ダメになっていくとは思うんですがね。