活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

学歴はどこへ行く

学歴から資格へ – 池田信夫 – アゴラ


池田信夫氏が述べているような、学歴から資格へという論は結局、少し前の高学歴化と大差がありません。
なぜならば、高度経済成長期以後の日本はホワイトカラーこそが求められた能力であり、必死になって学歴を手に入れてきました。
しかし、結果としてほとんどの大学のデフレを起こしました。


海老原嗣生氏は「学歴のインフレ」と称していますが、それは一部大学の水増しのことであり、私のいう「大学のデフレ」とは中堅大学以下の地盤沈下のことを指します。
早慶は附属高校を増やし、一方で一般入試での入学数を減らしています。結果、偏差値の上昇(ないしは維持)を図っています。
そのため、現実に偏差値が生きているのは旧帝大や一橋大、東工大、医学部といった程度です。
ただ、ご存知の通り、国公立は偏差値という概念は通じず、無理やり当てはめているにすぎません。
つまりは、偏差値という存在そのものが無力化している、と言えるでしょう。


そのため、ネームバリューのない大学(とくに日東駒専以下)は学生の確保に必死です。場合によっては募集人数を大きく超える入学者数になることもしばしば。
それが大学の価値をさらに下げる結果となり、学生が集まらなくなります。そして、学力を下げてでも学生を確保しようとします。
結果、一番下の大学から「大学と名のついた高校」となっています。


では、そういう大学はどうするのでしょう。
面白い話ですが、専門学校と組んで資格を取らせます。
学歴で勝てないなら資格で勝て、というわけです。
しかし、ここで問題があります。
企業は決して「資格がある人間」がほしいのではなく、「能力のある人間」がほしいのです。
もちろん、資格を取った段階である程度勉強しているのでしょうが、実戦で使えるレベルの資格は稀です。
それこそ、医師・弁護士といったトップレベルの資格だけです。
基本情報技術者資格も、それ専門に勉強した人にとって取得することは、さほど難しくありません。しかも、現場では「ないよりマシ」と思われている程度の資格です。


しかも、資格ビジネスが流行している現在、使えるんだか使えないんだかわからない資格が増殖しています。
そんな資格をとっても、就職に役に立たないのは自明の理でしょう。
そうなると、話は戻り、医師・弁護士といった資格へ回帰します。
だが、ご存知の通り、これらのプレミア資格は高学歴でなければ、なかなか取得しづらい。というよりも取得できない。


こういった現状を生み出している一つが、
なぜ理系の秀才はみな医学部に行くのか? ―標準的ファイナンス理論からの考察― : 金融日記
で述べている通り、理系秀才がみな、医学部へ進学しているためだろう。
優秀な人的資源が医師になり、ほかの分野へいかないために、能力を持て余した状態です。
彼らが公務員や企業などに流れるだけで、どれだけの人的資源の活用になるでしょう。


こうした人的資源の正統な活用が行われることで、大学の学部の意義が出てきますし、能力の分配ができます。
お金が廻るように人材が廻れば、日本も良くなりますし、その培養元である大学も正常化します。


もちろん、これだけでは解決しません。
就職でいえば、日本の新卒主義も問題ですし、受験でいえば受験システムも問題です。
新卒主義ゆえに、就職活動が実質1年だけのチャンスしかありません。そのために、少しでも有利になろうと、ネームバリューの高い大学に人気が集中します。で、そこから人気企業の就職が増えれば、さらに人気が高まる。というスパイラルができ、それに外れた大学は必然、地盤沈下を起こします。


受験システムも問題です。
いくつかありますが、AO・推薦入試が最たるものでしょう。
これで学生の確保を行っているために、実質的な学力低下を招いています。
しかも、それを早慶・MARCHレベルが平然と行っているからたちが悪い。


これらの問題が根底にある限り、この問題は解決されません。