活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

麻薬(バブル)という残り香を嗅いで


経済の方向性をどげんかせんといかんと思うのです。
団塊世代やバブル世代の「イケイケドンドン」のような経済は二度と訪れません。
どうして気づかないのでしょう。
日本はようやく「先進諸国」入りして、それゆえに高度経済成長が終わりになったのだと。


日本は方向性を転身すべきです。
マクロな視点でいえば、日本はあくまで製造業を主体にすべきですが、それは技術面においてです。どう考えても、国土の狭い、なおかつ資源の乏しい国がアメリカ・中国・ロシア、今後台頭するであろうインド・ブラジルなどに対抗するためには、ソフト(技術)しかありません。


では、そのためにはどうしたらいいのか。
それこそ、民主党政権が標榜している「コンクリートから人へ」です。
ヒューマンスキルをどう上げていくのか、そこが重要なのではないでしょうか。


しかし、今の現状ではヒューマンスキルを上げられるとは到底思えません。
企業は人を育てる体力などありませんし、何にも考えないで、その場しのぎの方策ばかり。というか、バブル期と同じような、拡大路線しか考えていません。
それではダメなんですよね。


大量消費の時代は終わりました。


今後はどう顧客の満足度を得られるのか、販売した後のケアこそが大切なんです。
売って商品を手渡しただけでは終わりではありません。
むしろ、多くの場合、そこからが始まりです。終わりなのは、小売くらいです。


学校教育でもヒューマンスキルの育成が求められています。
しかし、正直なところ、学校教育では限界があります。能力そのものを開発することができても、能力を開発しようと思うモチベーション自身、勉強する習慣そのものは家庭環境に大きく依存しています。
これは、教育産業に身を置くものとして正直に告白しましょう。
もちろん、ある程度、教育機関がそれをすることはできます。しかし、根本のところでは家庭です。
家庭環境によって人は勉強するし、その素地を作ります。


言い換えれば価値観です。
所得の低い家庭では、勉強よりも働くことに価値観を置きますし、読書家の家庭では知識に価値観を置きます。
こういった価値観では、前者はバイトに明け暮れるし、後者は勉強をします。
無理なんですね。価値観が違うので、勉強なんてするわけもないし、ましてや大学へ行こうなんて考えすらしない。


当然、価値観の多様性は認められるべきです。
しかし、各家庭がヒューマンスキルの重要性を理解しなければなりません。
それは家庭から変えるしかありません。


でも、その家庭自身の多くが「バブル」を経験しています。
いつかどこかで、元に戻ると口に出さなくても信じている節があります。
それは消費の在り方から見ることができます。
自分の嗜好品には消費するのに、それ以外のものには必要なものであっても消費しようとしない。
まさにバブルの残り香です。

これを変革しない限り、日本は変わらないでしょう。