活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

それがすべてではない、けれど決定的なファクターだ

予備校という環境で仕事をしていると、親御様と金銭的な話をする機会が多いのですが、大きく二つの反応に分かれます。
一つは何の抵抗もなく全額支払うパターン、もう一つはこれでもかと切りつめようとするパターンです。


これは印象論ですが、前者は私立、あるいはトップ公立校の生徒に多い気がします。
私立生は特待(奨学金)を期待するものの、それ以外で金額を惜しむことはしません。トップ公立校生はほぼ全額支払いますね(受験科目全受講のため)。
後者は低い高校の生徒の親御様に多く見られます。


これって社会の二極化に大きく関わりがあると思うのです。
確かに、前者にお金があって、後者はそうではないという結論に達しそうですが、教育に対するスタンスが違うんですね。
私立・トップ公立は高校入試(あるいは中学受験)から大学を意識しています。よって、大学受験に相応の資金が必要だと認識しています。多くの場合、親御様自身が高学歴である場合が多いです(大卒という意味で)。先の予測がされているわけです。
それに対し、低い高校(特に公立)では高校に何とか受かった、万々歳、で終わっているケースが多いように見受けられます。高校1年生の動向を見ても、上位校の生徒は(学校でやらされていることもありますが)やらなければならないと考えています。しかし、低い高校の生徒は「高校に受かったんだから遊びたい」から勉強したくない、と考えています。大学受験はまったく頭にないのです。


それが悪いことだとはいいませんが、短慮なのは明らかです。
それが結果的に大学のレベルに直結し、企業の規模に直結し、自分のこどもの学力に直結します。
この連鎖によって格差社会が助長されているわけです。


もちろん、上位大学へ進学したからといって有望企業が約束されているわけではありません。しかし、可能性があるのは疑いありません。
下位大学は推して知るべし、といったところです。


勉強する習慣は塾や予備校がつくるものではありません。
家庭環境が作るものです。18年という長い年月の間、そこで生活しているわけですから、当然影響を受けるのは必至です。なにより、幼児教育の場が家庭です。そこで9割方決まったと言っても過言ではありません。


そういう状況を考えると、教育に対するスタンスで家庭の状況も、その生徒の行く先もある程度分かってしまうのです。
だからこそ家庭が大事なんですが……どうなんでしょう。