活字中毒の溺れる様の記

これは、よくいる活字中毒者が溺れ死ぬまでの記録である……なわけない(笑)

興味としての殺人

最近、親殺しとか見ず知らずの他人殺しとかが多いですよね。
と。ふと思うのですが、彼らの言い訳って二種類なんですよね。一つは「カッとなって」的な衝動行為と、もう一つは「人を殺したかった」的な破壊行為です。


今回は後者について考えてみたいな、と思うのです。
なぜ、彼らは「人を殺したい」のか。
それって、かつてこどもの頃にやった虫や小動物を殺す行為と同じではないでしょうか。
人間には、いろんなことをやってみたいという衝動があります。その一つに殺傷も。明確に意識していないかもしれませんが、こどもも生の裏返しにある死に興味があるはずです。生き物に興味を持つと言うこと自体が、死にも興味があるということです。


どこまでが生きているのか、その行為がこどもに見られる残虐行為なのではないでしょうか。
そこで生と死を理解できたからこそ、大人になって「人を殺したい」という衝動に至らないのです。


しかし、先述の彼らはそれができていないのではないでしょうか。
こども時代に生と死が理解できていないから、あのような行動に出るのではないでしょうか。
もちろん、普通であれば倫理だとか常識に縛られるところですが、生い立ちや人生によって、そのブレーキが利かなかったのでしょう。


そのように考えると、理解不能な殺人が増加している理由も理解できるのではないでしょうか。